Last Trip
聖都ラサ、聖山カイラス巡礼、ヒマラヤ・トレッキング、インドのチベットであるラダック,ダラムサラ、聖地ベナレス、マザーハウスでのボランティアなどを目的に、バックパッカー生活最後の旅を続けています。
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たびメール(7) from ラサ
 
たびメール
 
《Last Trip 〜第2章〜》
7回目・(50日目)

送信場所<チベット in ラサ
1元=16円




前回のツアーから帰ってきてもう10日以上が経ちました。
日本では新潟が地震の被害で大変だとか。すごく心配です。

僕の方はラサへ戻ってきて、溜まっていた旅行記を1週間ほど宿に引きこもりながら書いていました。
ツアーで一緒だった小山さんと西本さんが旅立ち、しばらく日本人の旅行者とも出会えなく、孤独な毎日でした。
しかし、最近は日本人の方と再び知り合うことができ、さらに小山さんもラサへ戻ってきて楽しくやっています。
デプン寺、ガンデン寺など、ラサ最後の観光を楽しませてもらいました。

さて次の予定ですが、カイラス・ツアーが何とか決まりました。
期間は18日間で、ネパールの国境で終わります。費用はなんと一人5000元!!(8万円)
中国人学生がドタキャンするなど、いきなりのハプニングもあり先行き不安ではありますが、一応行くことができそうです。
結局、俺が企画したツアーには誰一人日本人は集まりませんでした。なので、別にドイツ人の女性が募集していたツアーに参加させてもらうことになりました。
ドイツ人のお嬢様とフランス人のおじ様、そして俺の3人で頑張っていってきます。
明日の329日、お金の支払いをするので、庶民の俺はもう一度お金の交渉をするつもりですが、駄目もとで言ってみます。
出発は330日予定。ネパールの国境へは415日に到着予定です。
ネパールカトマンズへは、416日に到着します。またその時くらいにツアーのご報告をさせてもらいますね。

04
年インドネシア、05年カナダ、06年ハワイ、そして今年はチベットのツアー中に31歳の誕生日を迎えると思います。
チベット最後の旅も思いッキリ楽しみ、良い誕生日が送れたらと思っています。


2007年3月28日

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中田英寿、ラサ出没?

一週間、宿で引きこもっていて一人淋しく過ごしてました。
でも、昨日久々に日本人の女性と会話ができ、今日は一緒にデプン寺に行ってきました。
久々に動いてクタクタです。

そうそう、中田英寿ラサにいるそうです。
彼も色々と旅ができて羨ましい。

今日、外国人の人が俺の部屋に置手紙をしてくれた。
まだ会えてないけど、カイラスツアーは日本語でしか募集してないのに不思議だなぁ。
彼が行くとして、まだ2人だ。
中田と会えたら、彼を誘ってみます。もちろん、ツアー代は彼持ちで!(笑)

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チベット鉄道を求めて。

今回、ラサからゴルムドを通る青蔵行路をランドクルーザーをチャーターして、チベット鉄道の線路の横を北上し世界最高地にあるタングラ駅(5068m)を目指す6泊7日のツアーに参加した。
計画者は成都からの列車で一緒だった、フリーカメラマンの小山氏。
小山さんは27歳ながら熱い男で、ラサの前は一ヶ月ほど東チベットを旅して、チベットの文化や民族の写真を撮ってきた。ラサなどがあるチベット自治区は2年前に旅したそうで、今回は話題のチベット鉄道の写真を撮るために再び訪れたそうだ。
本来ならば3日で行ける行程をゆっくり写真を撮りながら、列車や民族,風景の写真を7日間かけて撮りながら旅をする。


日程 (3月11日〜17日)
1日目・・・ラサ〜ダムシュン
2日目・・・ダムシュン〜ナクチュ
3日目・・・ナクチュ〜アムド
4日目・・・アムド〜タングラ駅〜ナクチュ
5日目・・・ナクチュ〜ダムシュン
6日目・・・ダムシュン〜レティン・ゴンパ
7日目・・・レティン・ゴンパ〜ラサ

ツアー代金など (1元=16円)
ランクル代(トヨタ・ランドクルーザー)、パーミット(一人150元)、ガイド代、ドライバー代などが込みで6350元(約10万1600円)だった。
乗車人数は、ガイドとドライバー、ツアー参加者3人の計5人。
今回は小山さんの撮影が目的のツアーなので、小山さんがツアー代金を半分負担して、残りを二人で負担することになり、俺が払った代金は約1600元(約25600円)。
もう一人募集して4人で行くことも可能だが、撮影機材なども積むし小山さんの希望で参加者は3人になった。4人の場合はガイドをなしにすれば問題ないが、後ろの座席に4人でギュウギュウに座るか、荷台に強引に一人座らせるしかないので、3人がベストの人数だ。
その他に食費や宿泊費などが別にかかる。俺たちは7日間で別に一人600元(約9600円)かかった。
一週間のツアー代金が一人US$300弱。安いか高いかは、他の国のツアーの値段と比べて参考にしてください。エベレストの4泊5日のランクル・チャーター代金3500元前後に比べると少し高い値段です。エベレスト・ツアーのオンシーズンの値段は6〜7000元だそうです。

ツアー契約時の注意点
中国の物価からいえばかなり高い値段のツアー代金を支払っているのに、ツアーに不満を訴えるツーリストは続出だ。
・天候などで車が目的地の半分も行かなかったのに、支払った代金は一銭も返ってこない。
・旅行会社とガイド・ドライバーの契約が違い、自分たちが行く予定の場所へ行けなかった。
・ドライバーが行きたくないと言いだして、目的地にたどり着けなかった。
・ガイドが仕事を放棄する。(多分、飽きたから。)
などなど、常識では考えられないことが普通に起きます。
僕らもガイドともめました・・・。何もトラブルが起きない方が少ないようです。チベットや他の発展途上国で長期のツアーをする場合は、あり得ない問題が多発すると思った方がいいです。
それを防ぐには自分たちで英文の契約書を作成し、いざという時のために用意して旅行会社にサインをさせるしかありません。僕らも面倒ですが、契約書を作成しました。それと期待しないこと・・・。残念なことだけど、完璧に満足したガイドや運転なんてできないと思うことです。
僕らのガイドも4日目くらいまでは、期待に応えて頑張ってくれました。しかし、それ以降は明らかに疲れと飽きの感情をだして、怠慢な態度になってしまいました。疲れた飽きた嫌だが理由になっちゃうんです。
もちろんガイドも客を選べません。自分たちの行動や態度も大切だと思います。だからガイドへの気配りドライバーに運転に対する感謝などは必要だと思います。だけど、客が下手に出ると調子に乗ることが起きるのが、日本のガイドとの質の違いです。調子に乗らせないようにするなんてこともしないといけないんですよね。
楽しい旅行で終われば問題ないのですが、やっぱりいざという時のために契約書は必要なようです。
ツアーを自分で計画する場合は、ガイドブックの旅行人ノートの「ツアー・アレンジの注意」のところくらいは読んで参考にしてみてください。日本人と一緒にツアーへ行くなら、誰か持ってるはずです。
こんなに問題があるのに何故ツアーの質が良くならないかというと、僕の個人的な意見ですがチベットはパーミット(滞在許可書)が必要だからだと思います。チベットには許可書なしでは行けないところが沢山あります。外国人がその許可書を手に入れるには、直接公安に申請するか旅行会社でツアーを組んでもらうしか取得できません。公安での取得の仕方はよく分かりませんが、中国語で許可書をもらう正当な理由をいうのは難しいと思います。
許可書を簡単に手に入れるのは、旅行会社でツアーを組むのが一番簡単な方法です。一般のツーリストには、ほぼこれしか方法がないかもしれません。だから旅行会社は少々問題があろうと客が減ることはないのだと僕は思うのです。
許可書なしで捕まるのを恐れながら旅をするのか、旅行会社でツアーを組んで覚悟を決めるのか、どちらしかありません。
あとは許可書なしで自由に旅行ができる日を気長に待つしかないようです。


出発予定日は3月の7〜10日の間だった。
しかし、募集の張り紙をツーリストの集まる宿に張りまくったが中々集まらなかった。すぐに集まると高をくくり、どうせなら日本人だけで行きたいということで日本語の張り紙しかしなかったのもひとつの理由かもしれない。それに値段も安くないし、1週間と期間も長かったし・・・。
エベレストやネパールへ抜ける有名なツアーでも、この時期はタイミングが合わないと中々人が集まらない。そして俺たちのツアーは、一般向けじゃない鉄道を見ながら何がある訳でもない町や村を訪れるツアーってことでは、人は中々見つからないはずだ。
だけど俺みたいに興味本位だけで、特別な思いもあるわけじゃない変わり者の旅行者はいてもおかしくない。それにチベットへ来る旅行者なら青蔵鉄道に誰しも少しは興味があるはずだしね。
しかし、ラサまで列車に乗ってやってきた旅行者が、わざわざ電車から見た景色を高いお金を払って車でもう一度見に行こうなんて思う物好きはそうはいないのも頷ける。
俺はというと、時間はいやというほどあり、列車がチベットの草原を颯爽と走る姿を見たかったし、人があまり行かないところへ行ってみたいという物好きでもあり、小山さんの話しを聞いて深く考えもせずに二つ返事でOKをした。

3月7日、パーミットなどを申請したりすると3日くらいかかるらしく、さらに土日をはさむと出発が遅れるため、まだ俺と小山さんの2人しか参加者がいなかったが諦めて2人で行くことにした。俺が2000元を払い、残りを小山さんが負担するということで話しがまとまり、旅行会社に200元ずつのデポジットを払った。
そして翌日の8日の朝に、ツアーに参加したいという一人の日本人女性が現れた。
もう一人の物好きです。しかも女性です。
すぐに小山さんと二人で旅行会社へ出向き、なんとか3人で行けることになりました。
その女性は西本さんといい、イギリスでデザイン関係の仕事を1年以上していて、日本へ帰る途中にアジアなどを旅している最中だった。小山さんと同じ時期に東チベットや雲南省の民族を見たりと、一人で旅をしている旅行者です。
これでようやくタングラ駅ツアーのメンバーが揃ったわけだ。

3月11日、9時頃ラサを出発。いよいよタングラ駅を目指したツアーが始まった。
ドライバーのニマは大人しそうな38歳のチベット人。
ガイドのペマはお喋りで気の強そうな33歳チベット人。もちろん英語も堪能だ。
活発に喋りかけてくるペマの御かげで、車内の雰囲気も明るく、楽しい旅立ちとなった。20分も走れば青蔵行路に入る。ここからひたすら北上して今回の一番の目的地、世界最高地の鉄道駅タングラ駅を目指すわけだ。
天気は晴天。チベットの青い空が俺たちの旅路を暖かく迎えてくれる。
線路の直ぐ横を走っていると、眺めの良さそうな陸橋が見えてきた。そこの見張り番のおじさんに聞くと、列車が10分後に通過するとのこと。小山さんはもちろん、俺もすぐに写真を撮る準備をした。
高台に登り列車を待つ。そしたらすぐに列車が見えてきた。見えてきたと思ったら、一瞬のうちに列車は通過していってしまった。なんとか写真を撮ることができたが、あのスピードを間近でカメラに捕らえようと思ったら中々のテクニックが必要だ。しかし、まずまずの写真が撮れたし良しとしよう。

その後、数分走ると五体投地をしてラサを目指す巡礼者のグループを発見した。
五体投地とは、大地に身を投げ出しながら進む究極の巡礼方法だ。何度も地べたに寝そべり起き上がり、その体の分だけしか進めない。苦行をしながら進むことによって、最大の徳をえるといわれている。五体投地は巡礼方法というわけではなく、お寺や仏像,高僧の前で行われるチベット仏教のお祈りのかたちだ。
彼らは農村からすでに3ヶ月も五体投地で旅をつづけていて、俺たちが車で1時間ちょいで来た距離を残り5日かけてラサへたどり着くという。農作業が休みの冬の時期に一生に1回できるかどうかの巡礼を行なっている。
巡礼者は1グループ10人くらいで、食料やテントをリヤカーやバイクで運び、サポート隊と一緒に旅をするそうだ。1日で10km前後しか進めないだろう。
俺も四国八十八カ所の巡礼をしたことがある。1日平均30km歩き、40日で一周した。真夏の四国。太陽の照り返すアスファルトの道、急斜面の獣道を蚊やアブに襲われ、クモの巣と格闘しながらも必死で歩いた。辛かった、逃げ出したかった。何故歩いてるのか、何の意味があるのか、自分自身との戦いだった。信仰心のまったくなかった俺には、巡礼することの意味すらまったくない。
彼らは何を思い辛い巡礼を行なっているんだろうか。作物の豊作、家族の幸せ、仏への忠誠心、いろんな思いがあるんだろう。四国を巡り、少しは宗教について考えるようになったが、彼らの思いにはとても勝ち目はない。苦しみの先に何がまっているのだろう。それはやってる人にしかわからない幸せだ。
俺にも少しだけ分かる。巡礼をするということの意味が・・・。
宗教の歴史、巡礼の歴史を受け継ぐ喜び。過去から未来へと人の願いや思いが受け継がれてゆく。その歴史の一部になれる幸せ。それが巡礼者だけが持てるひとつの喜びだと俺は思っている。
巡礼ができるということは、まず健康な体に生まれたということだ。苦行に耐えられる五体満足という体を持てたことを喜びに思える。そして巡礼の旅ができる時間が持てる幸せ。生活に追われてその日暮らしで必死に生きるしかない余裕のない人には絶対にできない旅だ。金銭的にも恵まれてるといってもいい。チベットの巡礼者は皆貧しいと思う。確かに豊かではない。しかし、友人や他人からの寄付があり3ヶ月もの旅ができることは幸せなことだ。サポートしてくれる友達や応援してくれる人々に巡り合えることは、何ものにも変えがたい。
俺もそうだった。辛かった旅がしだいに何よりも大切な宝物になっていた。四国の人達の優しい応援、お接待という食べ物やお金の寄付。決して一人ではできない旅だった。彼らは一緒に旅できる仲間がいる。辛い旅だからこそ、喜びを感じる気持ちが多く分かるはずだ。そして、それが幸せになる。人の数倍もの幸せを感じ、学べるというのが巡礼の旅なんだ。
彼らの旅がとても羨ましく思えた。だけどそれは、四国を旅できた喜びを知っているからこそ思える感情だ。四国を旅した後にチベットを旅できる喜びをひしひしと感じさせられる。健康、時間、お金、という3つの幸せを持ち続けていられた幸せを嬉しく思う。
そして、日本で生まれ豊かさに恵まれたことに感謝でいっぱいだ。
彼らにも巡礼の旅ができた幸せを喜びを、この先の人生に役立てて欲しい。その経験を人に語り、巡礼の歴史がいつまでも続く平和な暮らしができたなら、それが宗教や巡礼の意味なんだろう。
俺も彼らに負けない旅を、人生を頑張りたいと心から思った。

昼食後、いつものようにタバコをふかす。頭や肺などに動悸が・・・。
3600mのラサの町で10日も過ごし、出発前には4000mの山へハイキングにも行った。高山病対策はバッチリのはずだった。しかし体は訴えてくる。高地への洗礼としての苦しみの予感を・・・。
成都からの列車の中ではタバコはひかえていた。自分でも高山病になりやすい体質だとは重々承知だ。しかし、ラサではタバコを吸っても平気だったし、気にせずバカバカふかしていた。それがいけなかったのか・・・。
日本や香港の免税店で買ったKENTのタバコもラサでとうとう無くなってしまった。仕方無しに安い中国製のタバコを吸いまくった。ニコチン1mgのKENTから15mgの安タバコに変えても吸う量はむしろ増えていた。
調子に乗ったよなぁ。原因はタバコじゃないにしろ、これから5000mを越える旅へでかけるのにタバコをやめなかったのはいけないことだよね。
ダムシュンの駅に歩いてみんなで向かったが、みんなの歩く早さに到底ついていけなかった。初日から高山病です。4200mのダムシュンは、なんだかんだいってラサより500mも高地なんだからね。
それに寒さもやばい。少しとはいえ北上して標高も上がっている。みんなが元気に町に出てゆく中、俺はひとり部屋で静養するしかなかった。

7
日間の間に2つの遊牧民の村と、昼食で訪れた小中学校の寮がある村、ナクチュにあるガイドのペマの親戚のお宅にお邪魔した。
遊牧民の家は外から見るととても素朴な感じで貧しさを感じさせる。だが家に招かれ入ってみると、暖炉のある部屋には装飾された家具などがとても鮮やかだった。
チベット定番のバター茶を何杯もごちそうになり、小山さんの質問に笑顔で答えてくれた。夏の暖かい季節は良質な牧草を求め山の上の方に移り住む。その場合はテントを張り、家族で家畜の世話をしながら暮らすそうだ。
お世辞にも美味しいといえないバター茶。雲南産のお茶(タン茶)を煮出してバターと塩を加える。九寨溝のチベット村で飲んだインスタントのバター茶よりは断然飲みやすかった。だんだんと飲んでいても平気になり、俺の中ではアリだったかな。しかしバターは入れない方が美味しいのは事実。極寒の地では、脂質の多いバターを摂る必要性があるんだろうが・・・。
どの家族も突然訪れた俺たちを暖かく歓迎してくれた。特におじいちゃんや子供たちの笑顔は最高で、小山さんの撮影にも嫌な顔せず応じてくれた。俺も便乗して素敵な家族たちの写真をたくさん撮らせてもらえたよ。
ある日の昼食のときに訪れた町には、各村から集まった子供たちの学生寮があった。7人くらいの子供の集団のところへ行き写真を撮ったりじゃれ合っていると、いつの間にか20人,30人の子供たちに囲まれてしまう。
正直うざい!
主導権を握っている最初の頃は何て可愛いんだろうって思う。だが、ガキ供がいったん調子に乗り始めると、さぁ大変。
俺を撮れ! 写真を見せろ! ごちゃごちゃとまとわり着いてくる。
だけど笑顔はやっぱ最高だ。カメラを向けるとカッコつける子供や照れて逃げ回る子供もいる。
子供はうざい。でも子供と過ごしてるときは、心が正直になりとても癒されるよね!!

1日の移動時間は平均3〜4時間程度。朝9時頃に出発したら昼くらいに着いてしまう計算だ。
なので小山さんが撮影したい場所に止まったり、村のお宅をお邪魔しながらゆっくり車は進んでゆく。
標高4000m以上の高地にある壮大なチベット高原。その周りには小高い山脈がそびえるが、小さく見えても標高が5〜6000mはあるのだろう。雪が降り積もった山脈が堂々と空に向かって立ちはだかっている。
春は近いが草原はまだまだ緑の輝きを失っていた。それでもヤクや羊などの家畜が草原いっぱいに広がり、黄土色した絨毯の上で栄養をもとめてむさぼりついている。澄んだ青空の下、車窓から流れる遥か昔となんら変わらない風景を飽きることなく眺めることができた。
ラサへの列車からの景色はその草原が雪一色になり、それもまた良かったんだが、あいにく天気はあいにく曇りだった。列車からの風景も中々だったけど、乗りなれた車からの景色はとても身近な感覚で、同じ風景を見ていても何故か冒険心をくすぐられるものが確かにあった。

それでも到着は午後の3時か4時頃には着いてしまう。
俺たちが泊まった町は、ダムシュン2泊(行きと帰り)、ナクチュ2泊(行きと帰り)、アムド1泊、レティン・ゴンパ1泊。
どの町も宿代が高い。政府が認める宿にしか外国人は泊まることができないそうで、少し宿泊費が高くなる。

ダムシュン・・・金珠ホテル 3人部屋120元(一人40元)
ナクチュ・・・三星ホテル 3人部屋180元(一人60元)
アムド・・・アムドホテル 3人部屋240元(一人80元)
レティン・ゴンパ・・・一人30元 1元=16円

最初の町ダムシュンは、とても小さい中国系の町。メインストリート1つあるだけで、少し町を外れれば小さなチベット村がある。
初日から少し頭痛がしだし、他の2人が外出する中で一人淋しく部屋で静養する。
2日目ナクチュではナクチュホテルという所しか泊まれないという話しだったが、ガバメント・ミーティングで部屋が満室のために三星ホテルに泊まることになった。この町はでかい。信号もあればタクシーまで走っている。モロに中国の町。チベット系の建物は少ししかなかった。
この日から左糸切り歯が激しく痛み出す。高山病に加え歯痛で、食欲もなくなった。一人でこの日も宿でお留守番。
3日目アムド。またもガバメント・ミーティングだとかで部屋は満室。しかし高山病で体調が悪い奴が一人いる(俺?)ということで、一部屋空けてもらえた。ウイグル系、中華系、チベット系が住むごちゃ混ぜの町。チベット人の民族服も派手な装飾でかっこいい。
もちろん、歯痛と高山病のため宿から出れなかった・・・。小山隊長から頂いたバファリンを飲み、なんとか寝ることができた。
再び戻ったダムシュンの同じ宿でも、ガバメント・ミーティングがあるからと宿泊費が150元に上がった。なんなんだガバメント・ミーティングって!!
こんな小さなチベットの外れの町で、政府の会議が本当に行なわれているのか?胡散くさいったらありゃしねぇー!

高山病は死ぬほどの辛さじゃなく、夜とか無理して出歩かなければ問題なかった。タバコもやめられたし。
しかし歯痛は・・・。去年10月のネパール旅行は、実はその後にチベットへと向かう予定だった。標高5000m以上の20日間のトレッキング中、歯に激痛が走った。原因はよく分からないが、多分気圧の影響だった。治療した歯になんらかの理由で空気が残り、高地でポテトチップスなどのお菓子の袋が膨らむと同じ理由で、歯の治療箇所の残った空気が膨張して歯が痛くなるとは聞いたことがあった。
藁をもつかむ思いで、歯に正露丸を詰め込むと多少痛みは和らいだ。ってことは虫歯か?
ネパール、インド、チベットと、1年の旅をする予定だったが、この激痛を1年我慢するのは無理だと判断した。帰国を決断した理由にネパールの往復航空券を持っていたことがある。いつものごとく帰りのチケットは捨てるつもりだったが、運が良いのか悪いのか、そのチケットの有効期限がまだ残っていたのだ。それでいったん帰国をして、歯医者へ通い旅を出直すことにした。
だが、トレッキングを終えカトマンズに戻ると歯の痛みはなくなってきた。帰国する頃には歯の痛みはまったくなくなり、硬いセイベイだってバリバリ食べれちゃうくらいだった。
住民票を抜いていたため、区役所に戻しに行った。すると、「1年以上暮らさない人には国民健康保険は渡せません」と軽くあしらわれた。そして30歳にもなり親に頼み込んで、親の扶養で社会保険に入って歯医者に行けば、たったの2回歯医者に通っただけで、小さな虫歯を治して歯の治療は終わった・・・。
帰国の間に名古屋のヒルトンでウェイターのバイトをして、クリスマスも正月もストレスを溜めながら働き、ネパールで使った旅費はなんとかチャラにできたが、帰る意味はほとんどなかったよね・・・。
今回も前回帰国を決めたほどの激痛が・・・。ラサに戻った今は痛みはそれほどない。やっぱり気圧の影響だった。その左糸切り歯を強く噛み締めると、やっぱりまだ痛みがある。これから行こうと思っているカイラスの一番高い所は、標高5668m。絶対にまた痛みがぶり返すに決まっている。
爆弾を抱えての旅がとても憂鬱だよ・・・。
海抜0m、綺麗な海のビーチリゾートで楽しく過ごしたいなぁー。

3月14日(4日目)、いよいよ今回のツアー最大の目的地タングラ駅を目指す。
ラサ到着後からチベットは青空が広がっていたのか、今回の旅での一番の高所となるタングラ峠(5231m)付近にも雪はそれほど積もっていなかった。天候にも恵まれて車はタングラ山脈を見渡しながら、青蔵行路を順調に北へ進んだ。
そして公安のチェックポイント。ガイドのペマが駅へ向かう許可をもらいに行く。しかし戻ってくるなり、1週間前にルールが変わり外部の人間は進入を許されないとの報告が・・・。
小山さんは、唖然とする。しかも俺たちは1週間前にタングラ駅へのパーミットとさらに公安,軍隊の許可書も取ったはずだ。簡単には諦められない。
駄目もとで全員で話しを聞きに行く。もう昼前だというのにベッドに横たわった公安職員にペマがもう一度訴えかける。そしたらあら不思議、以外にもあっさりと許可が出た。ちゃんと働けよ!
しかしあまり長く駅での滞在は認められなかった。ここからは舗装されてない砂利道。雪も多く残り谷間に作られた線路を横目に絶景の中を突き進む。ここは観光客が滅多に入れない未開の地。高山病も歯痛も忘れ、駅への道をドキドキとワクワクで待ちわびていた。
そして、ついにやって来ました。標高5068m、世界最高地に位置するタングラ駅。小さいながらプラットホームに堂々と立ちはだかる白い駅。もちろん、乗客はここでの乗り降りができないため、無人駅だ。それにしても駅は締め切られてるのは分かるが、警備の人が誰一人いないのが不思議だ。
寒さや高山病など一切忘れ、駅のホームや看板など小山さんに負けじと写真を撮っていると、ちょうどラサ行きの列車が通過した。小山さんが一番撮りたい瞬間がやってきたわけだ。電車は一瞬のうちに通過した。しかし小山さんはシャッターチャンスを見逃さず、最高の写真が撮れてご満悦だった。

そして、帰路の旅。
タングラ駅から一気にナクチュへ戻り1泊。5日目の3月15日は、天候が悪化し雪が降った。電車や五体投地の巡礼者を撮りながら再びダムシュンに戻った。
その間にガイドのペマの態度が急変する。一回も車から降りず、ガイドの仕事を放棄した。放棄というか、ただ単にチベット人との通訳の仕事が面倒になっただけ。寒さもよりいっそう増したことも理由だろう。タングラ駅へたどり着き、遊牧民たちとの会話も誠意を持ってやってくれた。
彼の中では充分に仕事をまっとうしたことになっている。だからって、お金を払っている俺たちが止まって写真を撮りたいといっても、またかって感じでそっけない態度を取るのはどうなんだ。確かにタングラ駅という最大の目的は果たせたが、まだ3日もツアーの日程が残っているのに後は勝手にしろって態度にはすごく腹立たしい。
そしてダムシュンの町で少し言い合いになった。
ホントは6日目にチベットの聖なる湖ナムツォに行く予定だった。しかし、5日目に雪が降り、標高5000mの峠を越えないと行けないナムツォ行きが微妙になってきた。冬にナムツォに行けなくなることはよくあるということで、いけなかった場合はラサ近郊にある有名なガンデン・ゴンパへ変わりに行くことができると旅行会社で話し合っていた。
確かにガンデンには行ってみたいが、ラサからは日帰りで自分たちでバスで行ける。わざわざランクルで行くのには、俺たちは魅力を感じなかった。しかし行かないと日程が余る。そこでラサを通過して一気にガンデンまで行き、お寺で1泊する予定で行こうと3人で話し合った。
それをガイドのペマに言うと、行きたくないの一言。彼の考えでは6日目の夜はラサに1泊するという。それこそ俺たちは行きたくない。ラサに泊まって行くくらいなら、自分たちで行ける。わざわざランクルで行くのが馬鹿らしい。それならバスで行けないような所へ行きたいに決まっている。
ガンデンにはいい宿がないとか、食事が不味いとか、自分に主導権があるような言い方をする。
それに西本さんと小山さんがキレた。英語で今までの不満を爆発させる。終いにはボスに連絡するぞ!と詰寄る。俺はというと、英語の会話を理解するだけで精一杯。二人ほど怒れず、乗り遅れてしまった・・・。それほど怒れなかったけど、二人のいうことは日本人なら当たり前の感情で、客の言い分よりガイドの意見を優先にする態度にはホント飽きれるしかないよね。
結局、明日の天気が良ければ問題ないこともあり、話しはまとまらずにその日は終わった。

6日目の朝、3月16日の天候は曇り。昨夜降った雪で、山は真っ白。一応ナムツォに行くチェックゲートまで行き、話し合うことに。
ここで観光客はチケットを買うことになるが、一人80元もする。もし雪で峠を越えられなかった場合でも、チケット代は戻ってこないというせこいルールになっている。行けても天気は最悪。湖はまだ凍っていることが予想される。行きたいと思える理由が見つからない。
そこで昨日の夜に3人で話し合い、レティン・ゴンパという少し離れたお寺に追加料金を払って行くことに決めていた。それをペマに話すと100元をドライバーとガソリン代として払えば問題ないことになった。ここは前にペマがお薦めしてくれたお寺で、すんなり行くことを認めてくれた。
ガイドが認めなければ行けないという矛盾した話にはなるが、こっちも揉めたい訳じゃないし、お互いが合意できたんだからこれ以上言い合ってもねぇ。
そしてレティン・ゴンパへ車は向かうこととなった。
舗装されていない道を雪一色の谷間を川の横を通りながら、ゆっくりと進んでゆく。草原を突き進むのもとても良かったが、川の流れに沿いながら山間を進むのもとても心地が良かった。この辺り、標高が4000mはあるはずなのに木が山々に立ち並んでいる。高地でここまで育つ木はとても珍しい。夏は緑が深くなるんだろうか。とてもいい感じの風景だ。
レティン・ゴンパは高僧レティン・リンポチェがダライ・ラマ13世が亡くなった後、現在のダライ・ラマ14世を転生者として探し出したときに大きな役割を担ったとして有名なお寺だ。ここに訪れる観光客はそれほど多くはない。
木が多く茂り、僧院やお寺の雰囲気も中々良かった。ここでは、鳥葬が行なわれる。天寿をまっとうし、徳の高い人物だけが受けられる葬儀の仕方だ。
火葬、土葬、鳥葬。要は、禿げ鷹に血も肉も骨も全て食わせて死者祀ること。野蛮なやり方だが、人は食物連鎖の頂点に立ち、色んな生き物を食い荒らして生きていることになる。最後は獣に自分の肉を食わせ、この世を去ることは自然の流れに沿ったやり方だと、俺は理解できる。
お坊さんと仲良くなり、この鳥葬の写真を撮った人に写真を見せてもらったが、珍しいものを見せてもらったという感動はあったが、そこまで野蛮な行為だとは思わなかった。
最後の夜は星も綺麗で、高山病も歯の痛みもよくなり、小山さんに貰ったタバコをふかしながら、星空も楽しめた。

7日目の3月17日も朝日が山々を照らし、美しい景色を堪能できた。あいにく、朝のお勤めはやらないとかで見られなかったが、僧院に入ったりお寺を参拝できて有意義な時間を過ごせた。
ただ、電気も暖房ももちろんなく、夕食はカップラーメン。ガンデンを強く拒んだペマの言い分はなんだったのか?
しかしここにはペマもよく訪れるらしく、友達や知り合いがいるみたい。自分も楽しめるからお薦めしたんじゃないの?
ドライバーのニマは文句も言わず頑張って運転してくれたし、タングラ駅もなんとか行けたし、二人には感謝をしよう。ありがとう!!

7日間のツアーは色々とあったけど、楽しい思い出がたくさんあった。
小山さんとは成都の宿からなんだかんだ3〜4週間の付き合い。ラサに戻ってからも一緒の部屋に泊まったり、あまり気を使わずに楽しく過ごすことができた。彼の計画したツアーの御かげで今回もたくさんの良い経験ができた。どうか、雑誌などに写真が掲載されるよう願っています。
イギリス帰りの西本さんには、ペマに英語で色々と意見をしてくれて二人ではまかなえきれなかったことをたくさん助けてもらいました。
小山さん、西本さん、色々とお世話になりました。楽しかったです。ありがとう!!

チベットの世界は広くとてつもなく大きい。ホントに奥が深い。
こっちへ来て約3週間。もっともっと偉大なチベットを旅したいと思っています。

これから聖山カイラスへ行きたいと思っているが、季節がまだ冬ということで中々人数は集まりそうにない。
歯痛に耐えながら、パーミット無しで一人で冒険してみてもいいが、なるべくならツアーで行きたい。
無理しても楽しめないし、これからの旅をもっと良いものにできるよう頑張ろう。



チベット、まだまだ楽しむぞ!!


2007年3月21日 ラサにて。

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チベットの空。

2月28日、俺はいよいよ成都発の青蔵鉄道に乗り込み、チベットラサに向けて旅立った。


今回、同じ宿から一緒に行くのは日本人11人とアイルランドの学生1人の計12人。俺とフリーカメラマンである小山さん以外は学生だ。
俺が乗るのは軟臥というソフトベットの寝台車。2段ベットの上段で少し狭いが、液晶テレビなどが各ベッドに備え付けてあり、1等寝台である。
値段はそれなりにする。軟臥の下段は1104元(17664円)、俺の席は軟臥の上段で1065元(17040円)だ。
下段は昼の間は中国人たちに占領されて追い出されると予想したから上段にしたのだが、それも礼儀の知らない中国人に運悪く当たった場合だ。小山さんは下段でも占領されることなく、快適に過ごしていた。もうひとり下段の席だった日本人のフカミくんは、乗った直後に中国人の宴会場にされ、追い出されていたけど・・・。
噂ではラサへのパーミット(外国人旅行証)はなくなるという話であったが、成都発のみパーミットが未だに必要だとか。他の場所からはどうなるのかは、イマイチ正確な情報はわからない。
というわけで、成都宿のシムズの旅行会社ではチケット代の他にパーミットや手数料を取られることになった。
パーミット代250元、手数料などが別に200元かかり、チケット代とは別に450元かかることになる。手数料の中に30元分の食事券やラサでの1泊分の宿代が含まれている。成都駅までの送迎やラサ駅から宿までの送迎も付いてるし、日本語で苦労なくチケットが手に入ることを考えれば決して高い値段だとは思わない。

成都駅から定刻どおりの18:18にラサへ向けて列車は出発した。
同部屋の中国人3人は、悪い人じゃなさそうだが無口で会話は弾みそうじゃなかったので、さっそく小山さんのいる車両へ足を伸ばした。
チベットへの憧れは抱いてはいたけど、買っておいたガイドブックをほとんど開かずにいて、チベットの情報はまったく知らない。
そこで、今回チベット2回目だというチベットマニア(失礼!)じゃなくて、チベットカメラマン小山氏に色々とお話しを聞くことにした。ラサへ行く前は東チベットにも足を運んだらしく、チベット初心者の俺の数倍の知識や情報があり、とても勉強になりました。
それに小山さん、チベット語を片言ながら話すことができる。さすがチベットをこよなく愛すプロのカメラマンですなぁ。感心します。(煽てておこう!)

列車はラサまで48時間。2日後の3月2日、18:28にラサへ到着予定だ。
初日は夜に出発したから景色は楽しめないので、早めの就寝となった。
次の日も小山さんの車両に遊びに行く。車窓から見える景色はあいにくの曇りということで、パッとしない風景だった。途中で蘭州駅や西寧駅で乗客が乗り降りをした。30歳、無職の俺。無意味にホームへ降り、はしゃいで写真を撮ったりした。旅行中は馬鹿になろうぜ!!
乗車時間の長い車中では、小山さんと同室でラサの工場で働くというカワイイ中国人と話したり、チベット自治区内にあるナクチュという町で降りるチベット人と小山さんがチベット語で会話したりと列車の旅を楽しく過ごした。
食堂車では東大生のリョウショウくんも加え3人で中華を頂く。青海湖(ココノール)という中国最大の塩湖で琵琶湖の6倍もある湖を眺めながら優雅に食事をした。でも曇っていたから優雅とはいえなかったけど。
チベットの話しや旅の話しをしている内にあっという間に夜は更けていった。一緒に旅する仲間がいるって楽しいよね。

次の日も小山さんやフカミくんのいる車両へお邪魔する。
夜中に泊まったゴルムドの駅で沢山の乗客が降りたらしく、フカミ君のとなりのベッドが空いていた。これはラッキーだと、自分の席のように1日中居座ってしまった。ゴルムドを過ぎるといよいよ標高は4000mから青蔵鉄道最高地の5072mまで一気に駆け上る。
ゴルムドからはカナダの航空会社が技術を提供したシステムが使われ、飛行機と同じ環境になるはず。だが、アホな中国人達はトイレの窓を開けてタバコを吸ったり、車両の窓を開けてしまう。部屋で隠れてタバコを吸う奴もいるみたいだ。中国人にマナーを完璧に教えることができたら、ノーベル賞がもらえるよ、きっと・・・。
最新鋭の設備も中国人のマナーの悪さによって、無駄に終わる。しかしそんなことで高山病になったら、たまったもんじゃない。そこで乗客にはチューブ式の空気が吸えるものが配られる。各客席に差込み口があり、高山病対策として足りない空気を補えるシステムだ。
さすがに4000mを越えると多少は空気の薄さを感じる。試しに鼻にチューブを差込み空気を吸ってみる。
なんじゃこの臭いは・・・。中華の香辛料の臭いがする。さすが中国。空気の臭いも中華なのね。我慢して吸っていると、空気の薄さも解消される。でも鼻に差しっぱなしはちょっとねぇ。もう少し付け心地がいいように改良を願います。

列車は快調にチベット高原を疾走と駆け抜ける。
天気は今日も曇り。高原は雪で白一色。その高原に放牧された家畜が懸命に草を求めてさまよっている。6000mを越える山脈を横目に列車は着実に標高を上げ、世界最高地のタングラ駅に向かってゆく。
多分正月にやっていたNHKチベット鉄道特集では、旅行者の撮影のためにタングラ駅で停車すると、それを見た小山さんが言っていた。俺も見たが忘れた。
列車の電光掲示板はタングラ駅の標高をいよいよ表示し出した。

「きたぁああああああああああああああああああああああ! あれ!?」

列車は一瞬の内に駅を通過してしまった。
話しと違うじゃん。カメラを構える隙もなかったよ・・・。
NHK
め、金を掴ませて止まらせたな!
なんて文句をいっても始まらない。1日4本の電車がラサへ向けて通過するそうだから、1本くらいは列車のすれ違い待ちで止まったりするんだろうね。今回は残念ってことで。

小山さんは今回のラサへ行く目的として、この青蔵鉄道を写真に収めるが第一の目的らしい。
ランクルのツアーを計画していて、ラサからこのタングラ駅までを往復で7日間かけて旅をする。フリーカメラマンということで、仕事とはいえ経費は全て自分持ち。そこで人数を集めて行きたい旅行者を集い、ツアー代を人数で割り、安く行こうと考えていた。
俺は4月に聖山カイラスへ行こうと考えていて、1ヵ月ほど自由な時間があった。面白そうなツアーだと、2つ返事でツアーに参加することを承諾した。
今話題のチベット鉄道の写真で売り込みをかけて、名のある写真家に伸し上ろうという考えだ。(多分)
俺もいい写真を撮って有名なカメラマンになっちゃおうかな。なんてね!
その後はナクチュ駅で一回止まり、ラサへ向けてあと少しだ。

そして3月2日18:18。予定より10分早くラサへ到着した。
標高3650mのラサ。重い荷物を担ぎホームへ降りれば、当然のごとく酸素不足で息切れがしてくる。
改札を抜けると宿のお兄ちゃんが迎えにきてくれていた。しかし、バスの止まっている駐車場がやたら遠く感じる。息をぜいぜい吐きながら、やっとのことでバスに乗り込んだ。
駅から車でラサ市街へは20分程度。緩やかに流れるラサ川の横を通り、車はラサの町へ向かっていく。北京の時間と同じなので、夜の8:30頃までは明るいのだが、着いた日は曇っていたためラサの町は薄暗く感じた。
ホテルに着き、3人部屋に荷物を置いた。フカミくんがポタラ宮のチケットを前日に買いたいということで、日本人皆で食事にも行くことになり早速外へ出ることに。俺はというと、高山病なのか少し頭がズキズキするし、みんなの歩く早さについて行けなかったから、宿に戻ることにした。
高山病の怖さは、ペルーのクスコで嫌というほど思い知らされてるからね。無理はいかん。
列車の中からお腹の調子が悪く、やたらガスが溜まる。ペルーでも着いた次の日に高山病の影響で酷い下痢になったから、すごく心配だ。
これはしばらく安静にしろってことだ。2〜3日は無理せず、ゆっくり過ごそう。

次の日は同じ宿の50元の日本式スタイルの部屋に移動した。(1元=16円)
日本式といっても30cmの高台に布団が2組敷いてあって、ベッドじゃないだけ。だが、荷物の多い俺には片方の布団の上に荷物を広げられて、凄く快適な空間の部屋になる。
ドミトリーは4人部屋で20元。ツインのベッドルームは60元だ。日の当たる日本式の部屋はとても暖かく部屋にシャワーとトイレもあり、すごく快適。ドミトリーにも各部屋に洋式トイレとシャワーが付いている。
インターネットは他のホテルが1h=5元なのに対して、この宿は1h=3元。自分のパソコンも繋げて、その場合1h=1元になるのが不思議で嬉しい。洗濯も無料で毎日してくれる。
ラサにはバックパッカーが集まる宿がいくつかあり、ヤクホテルやキレーホテルが有名だ。この時期は寒いらしく、俺の泊まっている宿は寒ければ小さいヒーターを無料で貸してくれる。
まだできて1年くらいと新しい宿なので、あまり有名な宿ではない。ツアーなどの仲間を集めたい場合は、ヤクホテルのドミトリーに泊まった方がいいと思う。俺も宿を移ろうかと思っていたが、快適だし重い荷物を担いで宿を変えるのもどうかと思って、ここに残ることにした。
平惜康桑青年旅舎・・・http://www.tibetinn.cn/


お薦めの宿です。

ラサ2日目(3月3日)の天気はまさに晴天。
チベットの青い空が、この日から1週間以上続いた。憧れだったチベットの地へとうとう俺はやって来たのだ!

俺がチベットへの憧れを持ったのが、映画「セブン・イヤーズ・イン・チベット」見てからだった。この映画の山々の風景。ラサの町並みやポタラ宮にどれほどの憧れの念を抱いたことか・・・。しかしあれらは南米でのロケだったと聞いて、かなりのショックを受ける。ラサの風景やポタラ宮はすべてセットで作り上げられたものだった。あれほど精巧にチベット文化を再現させったってことは凄いんだけどね。
だが、この映画の原作を読んだ俺は、ますますチベットの憧れを強くしていった。
1939年、主人公で原作者でもあるオーストリア人のハインリヒ・ハラーは、ヒマラヤ登山遠征後に勃発した第2次世界大戦の影響で、イギリスの植民地であるインドの留置場に入れられてしまう。その後何度も脱獄を繰り返し、未開の地チベットへとたどり着く。
ラサまでの逃走やチベットでの暮らし、ダライ・ラマ14世が中国の侵略のためにインドへ亡命するまでの話しを小説にまとめた本だ。
未だにチベットが1つの国だと思っている人が多くいると思う。俺自身もチベットに旅へ行くと友人に告げてきた。中国の北京へ行くとか、中国成都へ行くとかと同じく、中国チベットへ行くとは絶対に言わないと思う。
それは、インドへ亡命したダライ・ラマや多くのチベット仏教の信者たちが、「Free Tibet」(チベット解放)を訴えているからだろう。
1949年、中国が「チベット解放」を宣言した。帝国主義のチベット中国側が解放してあげようというのが、中国側の主張だった。武力で脅し、チベット侵略が始まった訳だ。
1951年チベット中国は平和に基づく「17条協定」結んだ。しかし中国側はそれを完全に無視して、チベット各地の僧院や町を破壊し始める。それに対しチベット人による中国への反乱が起こったのだ。
その後、中国側がダライ・ラマを拉致しようとする噂が流れ、ダライ・ラマはインドへ亡命する。それに従い約10万人のチベット人難民がネパールやインドへ亡命した。
1965年、チベットを完全に侵略した中国は、チベット自治区を成立することになる。そして今のチベットは完全に中国の領土となってしまった。

中国は未だに日本に対して戦争の傷跡に対する賠償を求める。年間に何千億円の経済援助しているにもかかわらず、まだまだ金をむしり取るつもりだ。
そんなニュースを見るたびに、お前らはチベットに何をしたんだと言いたくなる人は多いはずだ。それも過去の話じゃない。チベット難民は今もなお、チベットの領土を返せと訴え続けているのだ。
この事実を中国人は知らない。