Last Trip
聖都ラサ、聖山カイラス巡礼、ヒマラヤ・トレッキング、インドのチベットであるラダック,ダラムサラ、聖地ベナレス、マザーハウスでのボランティアなどを目的に、バックパッカー生活最後の旅を続けています。
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ありがとう、チベット!!

カイラス・ツアーも遣り遂げた。
残りの旅も楽しもう!!でも文章はなるべく手短に。


コルラ終了後、タルチェンでランチをしてマナサロワールの同じ宿へ。
温泉で巡礼の疲れを癒したかったが、お湯の出も悪くサッパリしたとはいえない。

この宿でさらに予備日を使ってもう1泊。12日目(4月10日)は、湖の畔を観光した。
岸には分厚い氷が打ち上げられているのだが、その氷の透明度、いやいや宝石のような美しい青さには感動。これも今の季節にしか見られない自然の芸術だね。
結局、今日も4時間くらい歩いた。疲れが取れねぇ…。


ハッピーバースデー、俺!!
今日4月11日(13日目)は、俺の誕生日だ。朝起きてキッチンへ行くと、ハイジがバースデーカードとチベットのお守りをくれた。
ケーキがないからとチョコレートの上にロウソクを立ててくれていた。ジェラードもお祝いの言葉をかけてくれた。
ありがとう。素晴らしい旅の途中で誕生日を迎えられて幸せです。

今日はバルヤンまでの予定だったが、話し合った結果、一気にサガまで行くことになった。9時に出発して、20時前にはサガへ到着した。
ドライバーのププさんお疲れです。
前回泊まったホテルはホットシャワーが使えるということで値上げしていた。頑張って値切ってツインが130元(1元=16円)。
夜も遅いので先にメシ。
このレストランでペマとププから贈り物が。チベットのお祝い事のときには必ず用いられるカタという白いヴェールを首にかけてくれた。ケーキが夜遅く用意ができないと、ツァンパとバターで作ったチベットのお祝いのお供えものみたいなものを持ってきてくれた。
恥ずかしいし照れるから、あんまり自分が主役になるのは好きではないんだが、やっぱり皆から祝ってもらえて素直にすごく嬉しかった。ジェラードも帰りにペンを買ってプレゼントにくれた。
ありがとう。すごく感激の気持ちでいっぱいです。みんなと旅ができてとても良かったよ。ホントにどうもありがとう!!(涙)

ホテルで久しぶりに暖かいシャワーを浴びれたし、誕生日にキレイさっぱりだ。
これで4年連続海外で誕生日を迎えることになった。ということは、3年以上もまともな職にもつかずにフラフラしてた訳だね。その間に何度も帰国してバイトなどもしたけど、3年かけて貯めた500万円も残り70万円。このお金で後半年は旅をする予定。
2003年の秋から2007年の秋まで、丸4年を旅という時間に費やすわけだ。まぁ、悪い時間の過ごし方では決してないよね。
31歳になり、旅はこれで最後にしようと思っている。
最後なら最後で、20歳から始まったあの頃の気持ちを持ち続けて、毎日を楽しむために思いッキリやったろうじゃねぇか。
行くぞ、最後まで突っ走れ!!


14日目(4月12日)は、サガからペンクン・ツォという湖を通り、ティンリという町まで行った。
湖はすごくキレイで、昨日のレストランで頼んだサンドイッチを湖畔で食べて、ちょっとしたピクニック気分。楽しく過ごす。
しかしここを通過するのに自然保護区と称して車1台40元、ツーリスト1人65元を徴収された。ガイドブックには25元と書いてあったが、値上がったのか?最初1人100元と言ってきた。中国の公安めぇ!!

ティンリには16時に到着。ここで宿の値段交渉のときに俺がペマともめた。疲れも溜まってたんだろうね。ペマの態度というか、宿の人間のやる気のなさに腹が立った。書くのも面倒だし、誕生日の件もあるし、ペマともすぐ仲直りしたので問題なし。


15日目(4月13日)、今日はエベレスト・BC(ベースキャンプ)へ。
9時過ぎにティンリを出発。今日の道は堪えた。今までで一番道が悪かった。
のどかな村を音楽を聞きながら通り、BCに向けて車は進む。途中でかすかにエベレストが見え始めた。だが車で楽して来て見ても、それほど感動がない。
しかし、ロンブク・ゴンパを過ぎた辺りからどでかいエベレストが見え始める。世界最高峰はやっぱりスゲーや!最高です。
今日はロンブク・ゴンパのゲストハウスに泊まる予定だったが、この先にテント村ができており、そこで泊まれることになった。3月に行った人の話ではエベレスト・BCにあるゲストハウスに泊まったということだった。しかしエベレスト・シーズン到来なのか、観光客向けのテント村が誕生していた。
今まではロンブク・ゴンパのゲストハウスまでしかツーリストは車で来ることができなかったそうだ。ここから環境に配慮したというバスに80元で乗ってBCまで行くか、歩いて2時間以上の道を行くしかなかったらしい。
テント村のあるところからBCまでは歩いて1時間ちょい。歩けない距離でもないし、ここに泊まれて良かったよ。昼食後、14時くらいに3人でエベレスト・BCに歩いて向かった。
やっぱり昼からは雲が出てくる。それでもBCに着いたときは、まだ素晴らしい写真を撮ることができた。

ネパール側、チベット側と両方のBCへ行くことができて、俺はすごく幸せ者だ。
だけど、やっぱりネパール側の時の方が感動は大きかった。エベレスト街道であるジリっていう村から2週間をかけて歩き、エベレストを間近で拝めた。
結局ネパール側のBCへ行った時はすごく天候も悪く、そこからはエベレストを見ることはできなかった。その日の夜は大雪。次の日にエベレストのビューポイントであるカラパタールという場所まで登る予定だったが、半分諦めかけていた。
しかし朝になると晴れだして、美しいエベレストが姿を現した。雪のお陰で周りの山々も白一色の世界だ。全てを含めた意味で、ネパール側のトレッキングの時の方が、最高に思い出に残っている。
チベット側の方が、確実にエベレストだけを見ることを考えれば、大きく見えるし最高なんだろうけどね。先にネパール側で見ておいたことは、チベット側からも見る機会を得た今だから、行っておいて良かったとホントに思えた。

時間もあったので、BCの登山隊のテントが張ってある所へも3人で行ってみた。
フラフラと歩いていると、インド人の登山隊に声をかけられ、テントへ招待された。インドの軍隊のグループで、トレーニングとしてなのかハイジとそのような話していたようだが、あんまり理解できなかった。だけど、仕事としてエベレストへ登れるなんて凄く羨ましい。
テントからカレーのいい匂いがしていたので、「美味しそうな匂いがしますね」とつぶやいてみると、食べていけとテントに誘われた次第であります。カレーにナンにフルーツと、お腹いっぱいご馳走してくれた。
ジェラードもハイジもすごく楽しんでいたみたいだった。お互いに記念撮影をして、交流を深めた。インド人は、すごく愉快で楽しい人種だ。インドへ行く前に良い出会いができたよ。
現時点で21の登山グループが、BCにいるらしい。それでもこの時期はまだハイシーズンではないそうだ。やっぱり天候の良い、10月と11月が人気だそうだ。
ここに日本人の3人のグループが来てるよと、教えられた。もしかして中田英寿か?っと思ったが、有名なアルピニストの野口健だった。
インド人達にディナーも招待されたが、2往復する元気はないので、丁重にお断りをした。どうもお世話になりました。ご馳走様です!!

そしてテント村へ再び戻った。
戻って宿で日記を書いていると、日本人らしき3人組が話しをしながら通っていった。一人はTVカメラみたいな大きなものを担いでいた。
2度目に通り過ぎたときに何者達だろうかと、野次馬根性で近づいてみた。するとオレンジのド派手なダウンジャケットを着ているのは、野口健さんじゃありませんか!?
BC
から来て、このテント村を取材中みたいだった。興奮してハイジにあれは有名な日本人だったと話しかけた。この旅で一番英語を自ら喋ったんじゃないかってくらいで、よほど誰かに伝えたかったんだろうね。
「その人と話したの?」
「取材中だったから話してない?」
「じゃあ私が着いていってあげるわよ。一緒に写真撮ったらいいわ!」
ってな感じでハイジに後押しされて、緊張気味の僕は勇気を振り絞って再び野口さんのもとへ行ってみた。
今度は取材中ではなくカメラはまわっていなかった。なので彼に近づくと目が合ったので、
「野口さんですか?」もっとマシな言葉もかけられただろうが、精一杯に勇気を振り絞って呼び止めた。「はいっ、どうもです!!」と気軽に返事が返ってきたときは、すごく救われた。
握手を交わし、まともな会話も出来ぬまま、「写真を一緒に撮ってもらってもいいですか?」と言ってしまった。それでも快く「写真ね、はいはい」と撮ってもらうことができた。
一度別れて、ハイジに彼がいかに凄いアルピニストかと調子に乗って興奮気味に話すと、「私も一緒に写真を撮りたいわ。」というので、再び声をかけに行った。その時も快く写真を撮らせてもらうことができた。
それで少し話すことも出来た。5年ぶりに今回1ヵ月半ほど滞在して、エベレストに登るそうだ。今までここのテント村なんてなかったので、取材ついでに降りてきたそうだ。
性格や雰囲気はTVで見る感じそのままだった。気さくな感じですごくいい方でした。
やっぱり俺も趣味とはいえ山登りをする男として、野口健は多少気になる存在だった。世界の上位5つの高い山の頂上へ最少年で登った記録をもってるんだっけ?(ハイジにはそう説明しちゃった。)世界5大陸の一番高い山を登った最少年記録だった気がしてきた。まぁどちらも凄いし、この際どっちでもねぇ…。
どうせ金持ちのボンボンだからできたんだろって、偏見の目でみたこともあったりしたが、16か17歳でやり遂げた彼はやっぱり凄い。その年齢のころの俺は勉強もろくにしないで、ラグビー部に入って中途半端に練習してたくらいだもんなぁ。海外に出て山へ挑もう何て思いもしなかった。
今回野口健と会って、いっぱつで彼のファンになってしまった。日本で講演会あったら絶対行くし、富士山のゴミをなくそうキャンペーンがあれば、率先して参加しちゃうかも。ゴミでもなんでも拾いますよ。
いやぁ、エベレストで野口健と会うなんてホント旅の極みだね。最高の思い出です。

最近、有名人と出会う機会に恵まれてるなぁ。
去年の4月に東京へ行ったときは、菊蔵師匠を浅草で見かけたでしょ。からくりTVの「こだわりのひげを伸ばしてる人」ってことで取材を受けた。(これは関係ないし、放送もされてないはず。)これはまだ序の口。
名古屋のヒルトンのレストランでバイトしてるときは、雨上がりの宮迫でしょ、舘ひろしでしょ、エリック・クラプトンが店に来た。
旅先では、モンゴルで「グレート・ジャーニー」取材中の関野吉晴を見たでしょ。沖縄ではミュージシャンの喜納昌吉。ラサで映画監督の麻生学さんに会ったでしょ。(まったく知らなかったけど)
そして今回の野口健さん。これだけ長く旅をしていると色んな人に出会えるものだ。旅って面白い!


16日目(4月14日)、今日は朝4時半に起きてエベレストが朝日に染まるのを見にいくことになった。
準備をして5時に3人で歩き始めた。
何故こんなに早くになったかというと、昨日ハイジがエベレスト登頂の登山ガイドに聞いたところによると、朝日がエベレストにかかるのは朝の6時だということだった。
朝日,夕日マニアの俺的には、今まで散々見てきた経験から8時頃だろうと予想した。だが、宿の人に聞けば7時半だともいう。みんないうことがバラバラなので、結果的に登山ガイドのいうことを信じて朝の6時に辿り着けるように5時に出発することとなった。
ホントに真っ暗。月も出ていなくて、ヘッドランプをつけて歩くしかない。しかし俺のヘッドランプの電池が切れる。電池を換えるのも面倒だし、そのまま歩いた。星がものすごくキレイ。星明りでも純分じゃないが、何とか歩くことが出来た。
そして6時過ぎにBC到着。しかし空は真っ暗。夜が明ける気配なし。
俺は戻る元気もないから、朝日を待つことに。ジェラードはもちろん帰る。ハイジは一度戻り、馬車で戻ってくるというので、俺は暗闇の中で一人淋しく待つことに。星がキレイなのが救いだよ。
7時頃やっと空が明るく始めただろうか。宿のスタッフの7時半を信じてもまだ30分もある。俺の予想は8時だが、早いにこした事はない。しかし7時半になっても太陽の姿は見られそうもなかった。
音楽を聞きながら大声を出して歌いながら、体を温める。風が強いから声がかき消され、テントの人にも迷惑はかからないだろう。しかし風が強くて寒すぎる。歩いてるわけじゃないからカイラスのときよりも寒い。
そして待つこと2時間。俺の時計で7時53分、朝日がエベレストのてっぺんを照らす。どうだ朝日マニアの俺のいう通りじゃないか、8時にエベレストが朝日によって輝きはじめたじゃないか!
っていっても誰も戻って来ていなかった。カイラスに続いてエベレストの朝焼け。キレイだったなぁ。どちらがキレイだったとか比べるものじゃない。2時間も寒さに震えて待ってたんだ。この朝の美しさの感動を分かってもらえるわけがない。最高だぁ!!

しかし俺も最高に凍えていた。ハイジが戻ってきたのは8時半ころだった。死にそうに冷え切っていたので、ハイジの提案で昨日のインド人のテントに行ってみることにした。だが、昨日喋った人とは会えなかった。しかし他の隊員が暖かく迎えてくれて、温かいチャイをご馳走してくれた。生姜が効いていて美味しい。生き返るなぁ。
ここのインド人にハイジが尋ねる。BCでの時間は中国の時間を使っているのか、ネパールの時間を使ってるのかを聞いた。するとやっぱりネパールの時間を使っていた。ネパールとの時差は2時間15分。登山ガイドが言っていたのはネパール時間の朝6時のことだったのだ。
ネパールの6時は中国時間で7時45分。登山ガイドの言っていることは間違いじゃなかったのね。
まぁ今となっては思い出話しだ。楽しかったし良かったよ。インドの登山隊の皆様ご馳走様です。気をつけてエベレスト登頂してください。成功を祈っています。

今日は国境の町のダムまで行くことになっているので、ゆっくりしていられない。9時半頃にBCを後にした。ハイジは昨日から足を痛めていたので、帰りは馬車をつかってテント村まで戻った。楽チンだが寒い。
朝飯を食べて11時に出発した。エベレストよ最高の朝日をありがとう!いつかお前の頂きに立って見せるぞ!!(願)
エベレストに別れを告げ、ティンリまで戻ってランチ休憩。ティンリを出発したのが14時過ぎ、今日は長距離移動。頑張れドライバー、ププ!!
ドライバーのププは少し英語ができる。お互い同い年で波長が合った。片言の英語で凄く楽しく会話が出来た。ジェラードとの会話より理解しあえるのが不思議だ。
彼に安心して運転を任せて、暴睡。5時起き2時間待ちでクタクタだ。ニャラムという町から標高2350mのダムまでは崖の道を一気に下ることになる。今日の予定では本当はニャラムで1泊するはずだったが、ニャラム〜ダム間の道が狭く工事中なので、朝はすごく渋滞するとペマが言う。それで今日中に一気にダムへ行った方がいいということで予定を変更して、ダムへ向かうことになった。
ニャラムを過ぎた辺りから木の森が増えだして、チベットでは見られない風景に変わってきた。もちろん気温も一気に上がり暖かい。崖の下は川が流れ、森からはいくつもの滝が流れていた。ここが日本なら一大観光地になってもおかしくない。それくらい景色は素晴らしかった。温泉があったらもう大変だよ。
森の山々に雲が幻想的に流れていて、その横には滝が何百メートルもの長さで流れ落ちている。どっちかといえば中国的風景。素晴らしい風景を尻目に、チベットの別れの予感も感じずにはいられない。

そして、20時頃にダムの町へ到着した。
今日のホテルは高めのホテルを選んだ。ツインで150元。最後だし文句はない。
チベット最後の晩餐だ。ハイジがペマ達呼んで一緒に食事・・・、のつもりが俺たちの注文を確認して、そそくさと何処かへ行ってしまった。これにはハイジはもちろん全員飽きれた。2週間以上を共に旅した仲間が明日で別れるというのに、何のお祝いもないんじゃね。ハイジ的には今日のディナーはツーリストで奢ってあげようと思っていたそうだ。しかし彼らはというと・・・。
そしてチップの話しになった。俺、個人的には渡そうかなと思っていたが、今日の態度でハイジの考えではあげなくてもいいという方向になり、あげないことに決まった。ツアーは18日の予定が17日間になったし、そのガイドとドライバー料の1日分をチップとして考えれば充分だという考えになった。
まぁ、しょうがないよね。ペマ君、自業自得ですよ。
俺はペマにチュパと要らない服を置いてゆくことにした。小山さんには怒られるかもしれないが、ペマが欲しいというものだから譲ることにした。本当はカイラスのポーターにあげようと思って、ペマに伝えてもらおうとしたら、俺が欲しいっていうからツイね。
小山さん的には、ペマにあげるなら捨ててくれって思ったかもしれないね。隊長ごめん!!

予備日はマナサロワールでもう1泊して使ったのだが、マナサロワールからバルヤンで1泊の予定を一気にサガへ行ってしまったので、またまた1日余ってしまったことになった。
今日はすでに国境だし、今日でツアーは終わりみたいなものだ。なんか2日分余分だったのような気もしないでもない。ジェラードはカイラス前から早くカトマンズへ行きたいと言い出してたいし、俺もハイジも別に他に行きたい所もない。
もうこうなったら、早くカトマンズへ。そして日本食でしょ!!

暖かい土地に来たのだが、どうも風邪気味だ。やっぱりエベレストの寒さにやられたらしい。
ジェラードも疲れたのか、お互いシャワーも浴びずに眠りについた。


最終日17日目(4月15日)。
朝8時に朝食を食べて、8時半に宿を出た。ペマ達にイミグレまで送ってもらう。
今回も前回同様、軽く握手を交わした程度でお別れをした。ペマらしいっていえばそうなんだろね。ペマ、ププ、17日間楽しかったよ。ありがとう!!

国境は9時半に開くということだったが、結局10時まで待たされた。入国審査が待たされることを予想して早めに来たのだが、結局1時間以上も待つことになった。待っている間にカトマンズまでのタクシーを見つけた。
ネパール側の国境の町コダリへ行って、その後にカトマンズまで行ってくれて2500Rs(ルピー)だという。まぁ相場どおりの値段かな。(1Rs1.8円)
両サイドのイミグレなど移動やらで、1間くらいかかった。ネパール側のイミグレで2ヵ月のネパールのビザをUS$30で取ることができる。無事ネパール入国を果たし、時計を2時間15分戻す。ネパール時間の9時にコダリを出発した。
走れば走るほど人も景色も変わってゆく。ネパール来たんだと実感。暑さも増し、着く頃にはTシャツになっていた。車は一度パンクをして時間をロスしたが、3時間ほどでカトマンズへ到着した。5ヵ月無事に戻ってきました。
2
人とは別のホテルなので、ディナーの約束をして俺は前回泊まった。フジゲストハウスに向かった。あー、やっと着いた。
荷物を広げ、暫く休憩して、ランチへ。とんかつ定食だぁ。

日本食レストランの『ふる里』へ勝手知る道を歩き、ウキウキで歩く。
と、「タシデレ。(こんにちは)」突然チベット語で挨拶をされる。カトマンズではやたらと日本語で声をかけられるので、ほとんど無視しているが、「タシデレ」と声をかけられたら思わず立ち止まってしまう。
そこには一人のお坊さんが立っていた。俺の顔を見てチベットから来たんだろうと悟ったらしい。
スゲー不思議だ。確かに携帯ストラップ・マニ車をペンダントとしてつけていたが、それを見て気づいたとは思えない。後で鏡を見て納得。酷いぞ俺の顔。赤黒いというか何というか、何処の国の人間だ俺は!?
彼はラサからカトマンズへ来て、インドのダラムサラに向かうそうだ。俺もダラムサラに行くよと英語で会話をすると、是非あなたと話しがしたいってことになってしまった。
今から食事するけど一緒に来るならどうぞって感じで、「ふる里」に二人で入った。俺は当然とんかつ定食を注文した。
お坊さんは、お茶だけでいいらしい。聞けば彼は40歳で、5歳からダラムサラで修行をしているそうだ。今は生徒に教える先生をしているそうだ。チベット・タンカ(仏画)も書いて、教えているらしい。
黄色いカタ(ヴェール)を首にかけてもらい、出会いの祝福をしてもらった。黄色はダライ・ラマの色を意味する。チベットを後にしてすぐにダラムサラの僧侶と知り合えたことにすごくチベットとの縁を感じた。
しかし、彼はダラムサラに来たら案内するし宿をお世話すると、とても上手い話しで煽ててきた。う〜ん、ちょっと怪しいかも。
このお坊さん店に入る前からかなりビビっていたが、店に入るとより一層怯えだした。誰かに襲われると思ってるのかなぁ。ここは日本食のレストランと説明しても駄目だった。そして料理が出てきたら、下で待っていると出て行ってしまった。
まぁ、俺も一人でゆっくり食べたかったし、お坊さんの前では食後の一服もできないしね。いやぁ、やっぱとんかつ最高です。納豆も注文して、ご飯にかけて食べた。やっぱ食は和でしょ!!生き返ったぁ。
食べながら、さっきの坊さんについて考えてみた。どうも怪しい。話しがしたいだけなら、下で待つ必要もないよね。この店で別れたらいいんだもん。やっぱ金だろうなぁ。どこまで話を信じたらいいのか分からないが、話半分と思っていよう。ここで財布から高額紙幣を別のところへ隠し、下へ降りていった。
そしたらやっぱりずっと待っていた。両親はチベットで中国人に殺され、姉はインドへ亡命するときに中国に捕まったという。そういう同情話はこちらから聞いてからしてください。
私はダラムサラであなたを助けるしお世話をする。だからダラムサラに帰る資金を貸してくれということだった。やっぱりね。財布を見せて今これしかないからお金は貸せないと、100Rsだけ渡した。黄色いヴェールを買ったと思えばいいでしょ。(あまり必要じゃないけど。)
ダラムサラでもし会えたら面白い縁だしいいんじゃない。でもタンカを売りつけられても絶対買わないけどね。

その後、シャワーを浴びて17日分の汚れを落とす。シャワーを浴びた後でも寒くないのがいい。そして、少し昼寝をして洗濯屋さんに汚れに汚れた衣服を洗いに出した。1kgで50Rs、5kg分が250Rsだ。安いもんだ。
そしてディナーのため、待ち合わせのレストランへ向かった。

ハイジのガーデンがあるレストランがいいというリクエストに答え、俺が以前行ったことのあったカトマンズ・ゲストハウスの高級チックなネパール料理のレストランへ行くことにした。
2人はすでに先に来てくつろいでいた。425Rsのセットディナーを注文して、ツアー最後の夜を楽しく過ごせた。
文化の違いから2人の行動に疑問を感じることもあったけど、今はいい思い出だ。3人とも無事にカイラスもコルラして、17日間を共に旅した仲間だ。
特にジェラードとは16泊の宿を全て同じ部屋で過ごした仲だ。色々迷惑をかけ合ったよね。楽しかったよ。二人には誕生日を祝ってもらいとても嬉しかった。ホントありがとう。
2人と過ごせた17日間は、俺にとって掛け替えのない素敵な思い出になりました。感謝します。本当にどうもありがとう!!

2人はカトマンズで4日間ほど過ごして、ヨーロッパの家に戻るそうだ。
また会えるでしょうと、軽く挨拶をしてそれぞれの宿に戻った。結局、2人とは再び町で会うこともなかったが、もしお互いにヨーロッパや日本を旅する機会に恵まれたら、またいつでも会えることだろう。それまで元気で!!

17日間のツアーと1ヵ月半のチベット生活。とてもいい旅ができたと、振り返って思う。
今まで旅してどこが良かったかと聞かれたら、そのひとつにチベットという地名が確実に入ってくるだろう。チベットの青空、チベット人の暖かい笑顔、大草原に生きる動物たち、目をつぶると様々な風景が心に思い浮かんでくる。
また行こう。太陽の大地は、これからも変わらずに旅人たちを暖かく迎えてくれるはずだ。

ありがとう、チベットよ!! 心から旅させてもらったことを感謝いたします。


2007年4月25日 カトマンズにて。
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テーマ:バックパッカー - ジャンル:旅行

猿一匹,唄えば侍!!

いよいよカイラス・ツアーが始まります。

ツアーメンバーはドイツ人女性のハイジ(31歳)、フランス人のおじさんジェラード(55歳)、そして俺(30歳)。ガイドは前回と同じくチベット人のペマ(33歳)、ドライバーはチベット人のププ(30歳)。4カ国から集まった5人のメンバーで17日間のツアーが始まった。
ハイジはドイツの田舎町でコンピューター関係の仕事をしているらしい。今回は約1ヵ月の休みをチベットで過ごすということだった。彼女にとっても今回のチベット旅行やカイラスのツアーは、長年の夢だったらしく、チベットへの憧れはかなりの思い入れがあるようだ。
ジェラードは食品関係の小さな会社を経営していたが、今は引退して息子さんに仕事を任せているらしい。55歳にして悠々自適な生活を満喫している。今回は真冬のモンゴルからスタートして中国、チベットを含め1ヵ月半の旅。フランスに別荘代わりのゲル(モンゴルの遊牧民の家)を2つ持っているそうだ。かなりのアジア好き。養子でチベット人の女の子も預かっているそうだ。
俺、日本から来た孫悟空。チベット仏教、インドの仏教の聖地を目指す。天竺を目指して一緒に旅してくれる仲間はいない。妖術もかめはめ波も使えないし、スーパーサイヤ人にもなれない。でも、カイラスへ旅する仲間はいるので嬉しい限りです。カイラスへの思いはかなり熱い!!



日程 (3月30日〜4月15日)
 1日目(3/30)・・・ ラサ(3658m)〜ヤムドク・ユムツォ(4441m)〜ギャンツェ
 2日目(3/31)・・・ ギャンツェ(4040m)〜シガツェ
 3日目(4/1) ・・・ シガツェ(3836m)〜サキャ
 4日目(4/2) ・・・ サキャ(4100m)〜サガ
 5日目(4/3) ・・・ サガ〜バルヤン
 6日目(4/4) ・・・ バルヤン〜マナサロワール
 7日目(4/5) ・・・ マナサロワール(4588m)
 8日目(4/6) ・・・ マナサロワール〜タルチェン
 9日目(4/7) ・・・ タルチェン(4675m)〜ディラ・プク・ゴンパ カイラス・コルラ】
10日目(4/8) ・・・ ディラ・プク・ゴンパ(5210m)〜ズトゥル・プク・ゴンパ カイラス・コルラ】
11日目(4/9) ・・・ ズトゥル・プク・ゴンパ(4810m)〜タルチェン〜マナサロワール カイラス・コルラ】
12日目(4/10)・・・ マナサロワール
13日目(4/11)・・・ マナサロワール〜サガ
14日目(4/12)・・・ サガ〜ペンクン・ツォ(4591m)〜ティンリ
15日目(4/13)・・・ ティンリ〜エベレスト・ベースキャンプ
16日目(4/14)・・・ エベレスト・ベースキャンプ(5200m)〜ダム
17日目(4/15)・・・ ダム(2350m)〜カトマンズ(1300m)

宿 (1元=16円)
ギャンツェ・・・ジアンズーホテル ドミ40元 シャワー有り
シガツェ・・・テンジンホテル ツイン100元(一人50元) シャワー有り
サキャ・・・サキャホテル 3人部屋(一人30元)
サガ・・・サガホテル(計2泊) ツイン80元(一人40元) ツイン・シャワー有り130元(一人65元)
バルヤン・・・タシホテル ドミ25元
マナサロワール・・・チゥ・ゴンパ・ゲストハウス(計4泊) ドミ25元 温泉有り(20元)
タルチェン・・・? ドミ40元
カイラス・・・ディラ・プク・ゴンパ ドミ40元
カイラス・・・ズトゥル・プク・ゴンパ ドミ30元
ティンリ・・・アムドホテル ツイン60元(一人30元)
エベレスト・テント村・・・? ドミ40元
ダム・・・ペマホテル ツイン150元(一人75元) シャワー有り
カトマンズ・・・フジ・ゲストハウス シングルUS$6(ネット予約の場合20%OFF
16泊の合計宿泊費は、670元(10720円)でした。4月はオフシーズンですが、意外に宿は安くなりませんでした。しかし頑張ればオンシーズンでも、交渉しだいではこの値段よりも安くなる可能性はあります。

ツアー代金など
今回はランクル代(トヨタ・ランドクルーザー)、パーミット(一人150元)、ガイド代、ドライバー代などが込みで15600元(約25万円)。一人のツアー代金は5200元(83200円)でした。乗車人数は、ガイドとドライバー、ツアー参加者3人の計5人。
2年前の8月に小山さんがカイラスへ行ったときはラサ〜カイラス,グゲ遺跡の往復15日間くらいで、12000元だったらしい。そのかわりガイド無し。今回のツアーはグゲ遺跡に行ってないので、もう少し安くなったはずだ。でも年々ツアー代金は上がっているので、これからの値段はどうなるか分かりません。
エベレスト・ベースキャンプにもツアーの終盤に行きましたが、別料金で車代が405元(1台)、入場料が一人180元かかりました。カイラスの入場料は80元でした。
ツアー代の他にかかった費用(食費、宿泊費、お寺などの拝観料など)は何だかんだで、2200元(35200円)ほどの出費でした。全部で俺のかかった費用は、約7400元(11万8400円)です。

持ち物
個人的に持っていった方がいいと思ったものをいくつか。きりがないので気づいたものだけ書きます。
・マスク・・・チベットは乾燥してるし、車移動のとき窓を閉めていても埃っぽかった。寝るときにするのもいいと思う。
・水筒・・・プラスチックのお湯を入れても大丈夫な物。ツアー中は宿でお湯がもらえるので、お茶など作って飲んでいた。俺は600mlのボトルで1日の飲料水として充分だった。しかし高山病対策としては1日に2リットルは水を飲んだほうがいい。お昼や宿に着いてからは、たくさん水分を取ってました。
・杖・・・トレッキングにも役立つし、チベットの怖い野犬と戦う武器になる。ラサで安物の登山スティックを50元で購入した。
・寝袋・・・別になくても宿には布団がある。しかし埃っぽいので、潔癖症の人は自分の寝袋を使用した方がいい。ラサにて200元で買ったものをカイラス・コルラのときだけ使用した。
・のど飴・・・乾燥するし埃っぽい。どうしても喉を痛める。
・文庫本・・・宿に着いても暇なので何か持っていった方がいい。俺は『セブン・イヤーズ・イン・チベット』を読んでいた。やっぱりチベット関係の本を現地で読むのはより面白いよね。
・ヘッドランプ・・・宿の部屋は電灯が付かないことはまれ。ロウソクをくれるが、夜に部屋へ戻るときやトイレのときには必要。
・高山病の薬・・・紅ケイ天、高原安という中国の漢方薬を薦められたので飲んでいた。効くのかは分からないが、酷くはならなかった。
 

3月30日、朝8時過ぎにランクルが宿へ迎えにきた。
いよいよ20泊以上したこの宿とラサの町ともお別れだ。最後に仲良くなったハイジ姉さんとミポ姉さんがお見送りをしてくれた。特にハイジ姉さんは、俺なんかがカイラスに行けるのかとても心配してくれた。すごく嬉しくて有難かった。ですが、姉さんのこれからの人生も心配です。お互い日本へ帰ったら、まともな職を探しましょうね!!(笑)
お二人には最後の夜に夕食をご馳走してもらったり、ラサ出発の日にお見送りまでしてくれて、とても嬉しかった。ホントにどうもありがとう!
そしてカイラスへ、進路はひたすら西へ出発した。

ラサからカイラスまでの距離はざっと見で1500kmだろうか。日本の感覚で高速道路を使えば2〜3日の距離だろう。
しかし初日のヤムドク湖から後は、ほぼダートの道。それでも平らならいい方で、初日から最終日までガタガタ道が続きパソコンが17日間の旅を耐えられるか凄く心配だった。なので、日本の感覚で距離感を測ることはできない。
俺たちのツアーの予定では、カイラスの入り口の町タルチェンへ辿り着くのは8日目の予定になっている。観光をしながらなので、一日の行程はかなりゆっくりなペースだ。
初日の宿泊地ギャンツェまでは約250km。観光地であるチベット人の聖湖ヤムドク・ユムツォや途中の絶景ポイントをいくつか見ながら行くと、ギャンツェまでの到着時間は16時過ぎで、約8時間ほどかかっての到着だった。
ペマは前回と同じく初日はとても親切。チベットの民家へ頼みもしないのに寄ってくれたりと、明るく丁寧なガイド振りだ。(いつまで続くのかと疑うのは、まだ俺一人。)
ラサを出発して2時間ほどでヤムドク湖の絶景ポイントであるカムパ・ラ(4750m)という峠に到着した。ここはラサからの日帰り観光客やエベレストBC(ベースキャンプ)へ向かうツアーも寄る大観光地。全長100kmあるという湖は青いと一言では表現できないくらい、どこかの南の海のようにカラフルなブルーが旅行者を魅了する。当然観光客目当ての客引きもウザイほどいる。ヤクやチベット犬と写真を撮れと群がってくる。
しかし俺にはあまりしつこく言い寄ってこない。白人の方へ行ってくれて、とても楽である。貧乏そうな中国人に見えるんだろうかねぇ。(ちょっと複雑・・・。)

最高の景色を客引きにも邪魔されず堪能できて、機嫌よくギャンツェへ向かう。
そして車は何度も停車する。ハイジも一眼レフを持ち歩くくらい写真を撮るのが大好きみたいだ。初日だしはしゃぐ気持ちも分かる。俺もハイジが車を止める度に一緒に降りて写真を撮らせてもらった。しかし、これがツアー中最後まで続いた。
前回のツアーはカメラマンの小山さんの取材ツアーでもあり、小山さんがツアー代金の半額を負担してくれた。もちろん何度も車を止め待たされることは多かった。それで文句が言いたくなったことは、俺ともう一人のメンバーの西本さんもなかったと思う。文句ありそうな態度を取ったのはガイドであるペマくらいだ。それは彼の仕事であることはもちろん理解してのツアー参加だったこともあるし、撮影で夢中になり遅れて戻ってきた場合は、必ず「遅れてすみませんでした。」の一言があったしね。これが日本人の侘びと寂びの精神でしょう!!
確かに高いツアー費を払っているんだからね。良い景色を見たら好きな場所で車を止めて、カメラが好きなら写真を撮りたい気持ちも分かる。だけど、長距離移動で時間がないときにも何度も止められると、ペマじゃなくとも疲れてくる。彼女なりに気を使って、止める回数も減らしてるのも見ていて雰囲気で分かったけど、白人の自分の楽しみを貫く性質は羨ましくも思えるが、理解できない部分もあるよね。
ジェラードは逆で、風が強かったりしたらまず止まっても車から降りなかった。モンゴルでデジカメが壊れたからってのもあるだろうけど、興味がなければ我関せずだ。白人特有の我の強さを感じさせられた事柄だった。
まぁ俺も初日は景色のいい所をたくさん通ったから、良い写真が撮れてご満悦でした。

さてヤムドク湖からギャンツェの道の悪さはというと、かなり酷かった。まあまあ道は平らなんだが、ここはモトクロスのサーキット場か!?ってくらいに小さなジャンプ台クラスの土の盛り上がりが出現した。パソコンを荷物の一番上にしたのは間違いだった。飛び跳ねまくり。明日からなんとか固定させねば。
この道で運転が荒いと初日からドライバーに対して怒り気味のジェラードでした。
色々ありましたが、初日はこれといった大きな問題もなく16時頃にギャンツェのホテルに到着しました。しかし問題というか、ハイジはシングルを希望した。ドミトリーでも泊まれるが、なるべくシングルがあるホテルならシャワー付きの部屋に泊まりたいそうだ。俺的には安ければ問題なし。また少しの食い違いが生まれ始めました。
チベットの時差は日本から−1時間。北京と同じ時間を使用してるため9時くらいに日が沈む。ネパールの時差が−3時間15分だから生活リズムが少しおかしく感じる。
その為、17時からでも充分観光に行ける。宿を決め、ギャンツェ・ゾンという城塞がある所に観光へ行く。ひときわ目立つ岩山に立ちはだかっているのだが、眺めが良いだけでそれほど行く価値はないと思った。入場料が正規で30元(1元=16円)。時間が遅いということで、チケットをもらわずに一人20元にしてもらった。無料ならギャンツェの町並みが眺められて満足できそうだが、20元でもお金を払ってまで行く価値はあったかどうか・・・。

そして、宿に帰り宿のレストランで夕食。
しかし、食に関しても欧米人と同じツアーで過ごすといことで、問題が生じる。俺が日本人とツアーへ行きたがったのは、もちろん言葉が一番大きいが、食べるものにも文化の違いがあることも大きい。
確かにギャンツェなどの大き目の町の外国人向けのホテルでは、洋食も食べることができる。俺も洋食は嫌いではない。こういうホテルのレストランは、英語メニューがあるだけに楽チンだ。だけど英語メニューがあるってことは、値段が高いってことになるんだよね。
ジェラードは中華でもなんでも割かし何でも食べられるみたいだったが、問題はハイジだ。ベジタリアンでもないのだが、食べ物にアレルギーを持っていた。
聞けば「ソヤ・ソースは絶対いれないでね!」といつも強く言っていた。
ソヤ・ソース??? ソイ・ソースのことか?ってことは醤油が駄目ってこと?
イスラム教がどうのとかユダヤ教がどうのとかキリスト教が素晴らしいとか、そんなことで戦争をやらかしたりすることは理解できないが、醤油を口にできないってことは日本の食文化を否定されたに等しい。アレルギーでは仕方ないし、喧嘩になることもないが、中華料理を一緒にシェアして食べに行くなんてことはできなくなった。
別に一人で安い中華料理を食べに出かけることもできるんだが、それをジェラードにいうと私も行きたいと言い出す。そりゃ自分の好きなものを食べるこは悪いことじゃないんだけど、アレルギーの人はほっといて一人残し