たびメール
《Last Trip 〜第2章〜》
18回目・(207日目)
送信場所<インド in デリー>
1Rs(ルピー)=約3円
暑い! 臭い! 空気悪い! 空が見えない!
南京虫にやられてウザイ!!!
やっぱりデリーは大嫌いだぁあああああああああ!!
でも、コーラは下界で飲むほうが美味しい。
ラダックに結局1ヵ月以上もいてしまった。
トレッキングの後はラダックの村やゴンパ巡りをしてました。
新たな出会いも沢山あり、ラダックで沢山の再会があり、一緒に食事したり旅行したり、最高の思い出がまたできました。
皆さん本当にありがとうございました。
やっぱりチベットの文化が残る場所は最高です。
またいつか戻ってきたいです。
ラダックからはローカルバスを乗り継いで、今日の午前中にデリーに到着しました。
すぐに出たいところですが、長距離移動が続いてるので、2泊ほどデリーで過ごします。
今後の予定はデリーからバラナシ行きの列車のチケットを取ったので、9月3日18時30発の列車に乗って、バラナシ目指します。
ベナレスのガンジス川は一番行ってみたい所だったのですごく楽しみです。
またまたインドの旅が始まります。
気を引き締めなおして、いざガンガーへ!!
2007年9月1日
プチ旅情報!!
ダラムサラで、またまたダライラマのティーチングがあるそうです。
期間は9月3日〜5日までだそうです。今回は日本語の通訳もあるらしい。お見逃しなく!!
レーの宿は「ポール・ゲストハウス」がキレイでお勧めです。一人だと200Rsで泊まれます。そこそこの値段はしますが、いい宿です。
俺は約1ヵ月間「ビムラ・ホテル」ってところにお世話になっていました。シングルのシャワー付で200Rsでした。言い値は400Rsくらいなので、値切るのは大変ですが、割かしいい宿でした。
ラダックは9月1〜14日までフェスティバルらしいので、行かれる予定の方は楽しんできてくださいね。
さぁ、旅再開!!
何だかんだ出発が延びて、6月29日にカトマンズを出た。
俺の全部の荷物が合計で25kg以上はある。これを全部持っていくか、それともカトマンズへ置いていくか、かなり悩んだ。
そして悩んだ結果、荷物を半分以下に減らし、荷物を預けて再びネパールへ戻ってくることに決めた。
どっちが普通かわからないけど、インドのダブルビザじゃなくてマルチビザが取れたので、6ヵ月間はインドへの入国は何回でもできる。
一緒に申請をしたクリさんは6カ月のダブルビザだった。これだと、インドへ2回しか入国できない。ネパールからインド、パキスタンへ行ってインドへ戻ってきて、ネパールへまた戻った場合は、再びインドへ行くのにまたビザを取らないといけない。
一緒に申請して、俺だけマルチビザが取れたのはすごく不思議だ。(「地球の歩き方」情報だと、ネパールではインドのダブルビザしか取れないと書いてあった。)
せっかくマルチビザが取れたし、またネパールへ戻ってくることにした。
ネパールへ戻ってくるのは面倒だが、荷物が減ると大分旅が楽になる。ネパールへ戻ってきたら、再びハムサプル村の様子を見に行くこともできるしね。
荷物が減ると長期滞在はあまりしなくなるから、効率良く旅ができる。荷物が多いとどうしても滞在日数が増える。
今までなら着いた町では最低でも1泊していた。それは到着した日に荷物を宿に置いて、バスや電車のチケットの手配をしていたからだ。荷物が多いと、着いて駅に行って重い荷物を担いでチケットを求めるのはすごく大変だった。
でも、荷物が少ないとすぐに移動が可能。トイレひとつ行くのにも苦労が違う。
旅は荷物が軽い方が良いとよくいうが、その通りだと思う。
でも、荷物が多いとその町で長く滞在するので、町を素通りすることがない。その町を深く知るには滞在日数が多い方が良いよね。1〜2泊しただけで、その町の良さがホントにわかるのかっていったら疑問だしね。だが、荷物が多いと疲れきって辿り着き、観光もせずダラダラ過ごすことが多くなるが…。
観光ビザで着といて、観光もしないのもどうなの?って思います。
荷物が軽いと、着いたその日に元気いっぱい観光できる。やっぱり荷物は少ない方がベスト。
予定が変わってネパール滞在が延びたんだけど、計画していた日程がかなり遅れてる。インドへは5月末には入ってる予定だったからね。
だから荷物を減らして、観光地をどんどん旅をしようと決めた。
色んな人から、「なんでそんなに荷物が多いの?」とよく言われる。
う〜ん…。俺もようわからん。
最初は歩きの旅で、荷物が少ない方がいいと思った。しかし、日本を自転車やバイクで旅するようになって、荷物をいくらでも運べるようになった。
多分その感覚が続いていて、荷物が多くなったんだと思う。あれば便利な物はどんどんバックパックに詰め込んで持ってきているから。
1年くらいの旅だと、必要と思うものがついつい増えてしまうんだよね。
だらだらと書いてもしょうがない。真夏のインドを荷物満載で旅するのはすごく嫌だったし、インドのどこかの宿に預けるより、ネパールの宿に預けた方が安心だからそうしました。
荷物が少なくても多くても、俺はどちらも良い旅ができると思っています。
荷物を全部持っていくつもりで、ネパールとインドの国境近くのバイワラという町へのツーリストバスチケットを取った。
チケット代はUS13ドル。かなり高いがエアコン付き。ローカルバスで荷物満載は辛いと思ったからツーリストバスにした。
ローカルバスなら280Rsでバイワラへ行けるらしい。(1Rs=約2円、1ドル=64Rs)
3倍する値段だが、結果的にかなり快適だった。結局、荷物を減らしたからローカルバスで節約もできたんだけど。
朝7時のカトマンズ発のバスに乗り込む。
乗ってる客はツーリスト3人くらいで、お金持ちのネパール人がほとんどだった。色んな意味で安心できて、乗り心地もいい。バスの質は日本の長距離バスよりは少し劣る。
順調に進み、久々に早起きしたからグッスリ眠りながらバスに揺られた。
しかし途中から、寝ぼけながらもバスが何度も動いたり止まったりしているのに気づく。そして昼ごろには、完全にバスは止まってしまった。
どうもランチ休憩ではなさそうだ。
乗客が降りだし、何やら話し合っている。ツーリストの一人であるドイツ人のティモが、英語で教えてくれた。
理由はわからないが、誰かが道を塞いでバスや車を通さないようにしているとのこと。ようは道を塞ぐストライキ。
デブガートとナラヤンガートという町の近くでは、よく道を塞ぐストライキがあるみたいで、今回もそのために車が通れないらしい。
ここはアジアだ。怒ってイライラするだけ無駄。聞こえてくる話では17時まで道は通れないとか…。5時間も足止めですか?う〜ん、ウザイ。
こうなってしまったら仕方がない。メシでも食べて待つしかない。
でも昼飯で5時間は潰せません。仕方なしにバスに戻る。ここで高い料金を払った意味が出てくる。
ケチらずエアコンをつけてくれた。いやぁ、快適である。外は炎天下だったしね。
グッスリ寝てる間にバスは動き出していた。どうやら16時過ぎころにネパールの軍隊が来て、話しをつけたみたい。とりあえず、先に進めて良かったよ。
バイワラ到着予定が17時だったが、2時間遅れの19時に何とか到着できた。
しかしすぐにルンビニへ行く予定だったが、辺りはすでに薄暗いし、バイワラで1泊することにした。
バスで一緒だったドイツ人のティモは、予定ではインドへすぐに行くつもりだったが、バスの遅れで予定が狂った。ルンビニへは行く予定ではなかったが、予定を変えて俺と一緒にバイワラで1泊してルンビニ行くことに決めた。
そこで同じ宿に泊まり、部屋をシェアすることになった。
適当な宿を見つけ、1泊200Rsの蒸し暑い部屋に2人で泊まる。一応ファンは回るし、汚いが我慢できる程度の部屋だった。
すぐそこはインド。バイワラも暑い。でも我慢するしかないし、泊まることに決めた。
だけど暑さより問題が…。蚊がウジャウジャいたのだ。蚊取り線香を焚いてもファンでかき消されるのか効果なし。でもファンを止めるわけにはいかない。
夜中の間、蚊に襲われた。20〜30箇所は刺されただろうか。痒くて全く眠れなかった。
旅再開の初日の夜は最悪だったよ。ストライキといい、これもインド前の洗礼のひとつかな。カトマンズへ戻りたい…。
結局、明け方5時ころに蚊もいなくなったのか、眠りにつくことができた。
そして仮眠を少し取り、6月30日の朝8時に起きて朝食後9時に宿を出た。
6月30日。バス(20Rs)でバイワラから22km離れたルンビニまで移動。バスの屋根に乗り、風を受けながら大平原の中を疾走と進む。
ルンビニは仏陀(ブッダ)であるお釈迦様が生まれた場所である。
ブッダが生まれたのは今から約2500年前。シャカ族のゴータマ・シッダールタ王子としてこの世に生を成した。
生まれてすぐに歩き出し、天と地を指し「天上天下唯我独尊」と言ったんだって。(ふ〜ん。)
ブッタの説明なんて難しくて俺には書けない。書けてもガイドブックを参考にして何とかかける程度。
ブッタのことを知りたいのなら、手塚治のマンガ「ブッダ」を読むべし。
そもそも俺がルンビニを目指し、これからインドにある仏跡巡りをしたいと思ったのは、手塚治の「ブッタ」を読んで影響を受けたからだ。
俺が理解できる仏様の生涯の歴史は、このマンガが限界。他の難しい本を読む気にはなれません。でもマンガだと馬鹿にできないとても素晴らしいストーリーなので、まだ読んでいない方は、是非読んでくださいね。
てことで、色々ある仏跡の最初の場所がルンビニという場所になる。
ネパールにある有名な仏跡はルンビニひとつだけ。あとはほとんどインドにあります。仏教発祥の地はインドといわれてるからしょうがないけど。
そしてインドへ行く前にルンビニにやって来たのです。
ネパールへ来て観光らしいことをまったくしてないので、やっとこれで観光できるよ。
1985年からルンビニは国際委員会を通して、開発公団が発足した。そして、日本の建築家である丹下健三さんのデザインしたマスタープランというのに従って、世界中のお寺が建設されている。
南北5km、東西2kmくらいのどデカイ敷地内は、まだまだ完成に向けて建設中である。1997年に世界遺産にも登録された。
ドイツ人のティモとバスでルンビニに到着。南東にある聖園地区のゲートから、入っていった。入場料は無料。
ゲート近くにはいくつかのゲストハウスがあるのだが、俺達はルンビニ内にある韓国寺を目指した。
ルンビニ内には建設中も含めて10箇所以上の各国のお寺があり、宿坊として泊まらせてくれるお寺が何箇所かある。韓国寺は日本人旅行者の間で、有名でとてもいい所だと聞いていたので、ティモも誘って二人で行くことにしたのだ。
ゲートから韓国寺まで2km以上。歩くと30分くらいかかるかな。ルンビニも暑い。荷物は軽くなったといっても、10kg以上はある。ティモも荷物が多いし、サイクルリクシャを使った。2人で50Rs。ちょっと高い。
でも楽チン。汗だくで2人を乗せて漕いでくれてどうもありがとう、おじさん!!
そして韓国寺へ到着。
韓国寺は8〜10階くらいのビルの高さがあるお寺があるのだが、まだ建設中だった。コンクリートのお寺が無表情に建っていた。
それを見てティモは不満顔。すぐ前にある。立派に完成された中国寺の方へ泊まったらどうか?と言ってくる。
俺もお寺の雰囲気は完成されてないのもあって、確かに疑問を持った。
とりあえず、宿坊である部屋を見てから決めようと、案内してもらう。
すげー!! これなら何の不満もない。
すごく広い部屋に布団が2つあり、トイレも水も使える。シャワーはないがバケツで水を浴びれるから問題ない。暑さで水の温度は温かいくらいだった。
ファンはもちろんついているし、おまけに蚊帳までついている。昨日の部屋より数段マシだ。
そして食事は3食付く。韓国の精進料理だが、キムチがあったりタルカリもあり、フルーツのマンゴーまである。
韓国寺をみんなが勧めるのは、部屋も良いが食事も美味しいからだ。2泊したがすごく快適に過ごせた。
朝と夕方にお経を唱えるお勤めもあるんだが、別に参加は自由。結局1回も参加しませんでした。すみません。
朝は4時ころから始まり、無理。夕方は食後の6時半過ぎから行なわれるのだが、それにも参加しなかった。
韓国寺は未完成だが一番上の階まで登ることができる。ルンビニで一番の高さで、ここからの眺めは最高。360度地平線と山々を見渡すことができる。
そして大平原へと沈んでゆく夕日の時間が丁度お勤めの時間と重なり、参加できなかったのだ。
あいにくの雨季で雲が出ていて、ヒマラヤまでは見えなかったが、天気の良い日はヒマラヤと大平原の大パノラマが楽しめるはずだ。お寺からの眺めはホントにお薦めです。
宿泊費は決まっていなくて、寄付制度を取っている。なので自分の気持ちで払えば問題ない。
俺は1日、100Rs払った。3食宿付きだからちょっと少ないかも。でも1日に1ドルだけしか払ってない人もいたので、まぁ気持ちってことで。
貧乏バックパッカーには節約にもなるし、すごく快適な宿です。
ティモにも教えてくれてありがとうと感謝されたしね。俺もすごく安らいで泊まれたよ。
この日の12時半ころから、ティモと2人でルンビニ観光へ出かけた。
最初に向かったのが、マーヤー聖堂というブッダが生まれた場所。入場料は50Rs。
マーヤーはブッタを生んだお母さんの名前で、ブッタが生まれて7日後に母は亡くなったという。
さて、ティモと2人でブッタの生誕の地を拝む。2人で顔を見合せて、ついつい苦笑い。
遥か昔の誰かがブッタ誕生を示したものだろうデコボコした岩が置いてあったが、「ホントにここで?」って2人とも思ってしまいました。(すみません。)
一人で見たならもう少し感じるものがあったのかも知れないが、ドイツ人のティモと見てもなんとも感傷に浸れなかった。
ブッダ自体も本当に存在した人だとしても、人物がデカ過ぎて空想的な存在に思ってしまうところがある。その人がここで生まれたって心境にはどうもなれなかったかな。聖堂もなんかチッポケだったし、神聖な雰囲気をもっと演出して作って欲しかったよ。
思った以上の感動は正直なかったです。
その後はティモと別れて別行動。
広い広い敷地内を太陽の強い光を浴びながら、汗だくで他の国のお寺を見て歩いた。
タイ、インド、ミャンマー、チベット、ネパール、ドイツ、日本の寺を急ぎ足で見てまわる。
俺が好きなのはタイとドイツの寺かな。各お寺もすごくキレイで大きくてすごく見応えがあった。いろんな国の個性的なお寺が見られてとても楽しめたよ。
ただ広すぎる。道もまだ整備されていなくて、自分の足以外で見てまわるなら、リクシャに乗るしかない。ルンビニの巡礼・観光センターとして開発されて20年以上が経っているのに、まだまだ完成には程遠い気がする。
あと10年か20年は完成するのに時間がかかるんじゃないのかなぁ。完成したら入場料を取って、観光用のバスでも走らせるんだろうね。
その頃には、イメージキャラクターなんかがあって、土産物屋や高級ホテルなんかも建つのかなぁ。仏教のアミューズメント・パークみたいな場所になるのも面白い気がする。
完成してからもう一度来て見たいよね。老後の楽しみってことで。
それから日本寺も良かった。
デッカイ、ストゥーパ(仏舎利)が建っていて迫力がある。東西南北に金に輝く仏像が並べてあり、それぞれの仏像は日本で作られ運ばれて来たそうだ。
本堂は小さいが、日本に建っているストゥーパの写真が何十枚も飾られており、日本にもこんなにたくさんのストゥーパが祀られているのに驚かされる。
特に姫路にあるものなんか、世界遺産に見えるくらい立派なものだった。日本のストゥーパ巡りも是非してみたい。
日本寺でも宿泊が可能。
だが朝夕のお経を読む修行が義務付けられていて、毎朝子供たちと「南無妙法蓮華経」と唱えながら10kmも歩かされるらしい。
日本人なら日本寺へ泊まるべきだと思いますが、軟弱なバックパッカーには人気がないのはいうまでもありません。僕もそんな一人です。
でもここで1週間泊まった人と、1ヵ月以上滞在してる人の話しを聞いて、是非泊まって見たくなった。
身寄りのない子供や口減らしのために家族から見放された子供たちを預かり、修行をさせながら学校へ通わせているそうだ。朝は4時半に起きて、毎日子供たちはお経を唱えて10kmを歩く。
そんな大変な生活の中で学ぶことはすごく多いという。
住職は厳しい人で、「ここに泊まるなら修行として生活してもらう。」とハッキリ言われるそうだ。だが色んな話が聞けたり、修行をしながらすごく勉強になるそうだ。
今回は、インドを旅したいので、また機会があったら修行させてもらうのも悪くないかなって思った。
ルンビニ2日目の7月1日は近くの仏跡を見に行くことにした。
そんなに有名な仏跡ではないのだが、ティラウラコットというブッダが出家するまで過ごした場所に行ってきた。
ルンビニからは30kmほど離れた場所にあり、近くなので行ってみることに。
ティラウラコットにはシャカ族の領地であるカピラバストゥの城があったとされている。ちなみにお釈迦様というのはシャカ族の王子だったブッタからきているみたいだ。
マンガの「ブッタ」にも子供のときから出家する29歳までの話が描かれており、その舞台になった場所にぜひ行ってみたかった。だけど、このカピラバストゥの城跡は、インドのピプラハワという場所も候補のひとつにあげられている。
ティラウラコットとピプラハワはすごく近くにあるのだが、ネパールとインドとの国境を越えないといけないので、簡単に行くことはできない。どちらが、本当の城跡なのか調べるは発掘調査でわかる可能性もあるのだが、両国側の政治がらみの主張があるので、その方が問題であり、いまだにどちらかハッキリした結論は出てないらしい。
政治問題とかホントくだらないよね。まぁ、どっちにしろティラウラコットもシャカ族の領地だったみたいだし遺跡もあるから行ってみる。
バスの屋根に再び乗り込み、暑い太陽の日差しと平原の風を受けてティラウラコットに向かった。
いやぁ〜、気持ちがいい。
目的を持ち移動をする旅。久々に清々しい気分を感じた。やっぱ旅は動いて何かを求めないとね。滞在してのんびりするのも旅だが、移動する旅もやっぱり面白い。
まず、ルンビニからバス(片道35Rs)でタウリハワという町まで行く。小さな村かと思っていたが、中々生活環溢れる活気のある町だった。
ガイドブックには地図など載っていないので、サイクルリクシャでカピラバストゥ城跡まで行くことにした。(往復100Rs)
リクシャにゆられること30分、約3kmほど北にあるカピラバストゥ城跡へ到着。
う〜ん。寂れたところだ。小さな村の片隅になんとなくあるって感じ。ネパール人かインド人かわからないが、一応数組の巡礼者(観光客?)が来ていた。
ツーリストで来る人は滅多にいないんだろうなぁ。入場料は無料だった。
遺跡内はすごく小さく。20分もあれば充分見てまわれる。遺跡も高さ30センチ〜1メートルほどの遺跡らしき枠組みをレンガで修復した程度。
ここでブッタが育ったのかと、物思いにふけってみる。昔の風景を想像してみたり、色んなことを考えてみた。
だけど2500年前の風景が今とほとんど変わらないってことはあるのだろうか?その頃にはヒマラヤはあったのだろうが、この時季は見ることができない。考えれば考えるほど、想像が膨らまない。
でも確かにここでブッダは成長してゆき、人間の心理を求めて旅立ったのだ。
俺もここから始まり、仏跡を巡りながら、仏の心理を少しでも感じたいと思った。
さぁ今回の旅の後半が始まったぞ。
インドの旅、仏跡の旅。
一番の憧れだったインドという国を、思いッキリ楽しみ、思いッキリ感じて、思いッキリ学んでいきたいと思う。
この旅行記をルンビニとインドのアグラーで書いていた。
これからはなるべく小まめに旅行記を書けたらと思っています。
次はインド入国編と仏跡のひとつである祇園精舎編をデリーで書く予定です。
今いるアグラーのタージマハル編も書かなくっちゃ。
旅に旅行記に頑張ろう!!
2007年7月5日 インド・アグラーにて。
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今回もだらけています。雨季ですしねぇ。
でもただだらけていた訳じゃありません。
パキスタンのビザを取ったり、昼寝したりマンガ読んだり、インドビザを取ったり、昼寝したりマンガ読んだり、写真の整理をしたりアップしたり、昼寝したりマンガ読んだり、日本食を食べに行ったり、昼寝したりマンガ読んだり、旅行記書いたり、昼寝したりマンガ読んだり、友達とトランプしたり、昼寝したりマンガ読んだり。
どうですか?忙しそうでしょ?
まぁこんな感じで、ほとんど宿に引きこもってました。
6月7日(木)。
ポカラで2泊して、ハムサプル村から一緒だったクリさんとバス(300Rs)でカトマンズへ移動。(1Rs=約2円)
さっそく宿探し。クリさん希望の安宿は汚かったので、俺が泊まりたかった「シエスタ・ハウス」に泊まることになった。
ツインのシャワーなしの部屋を250Rsにまけさせて、2人でシェアすることになった。
この宿は3年前にタイのバンコクで知り合った、チベット・タンカ(仏画)を書いてるヒロさんに教えてもらった宿だ。ヒロさんが今、カトマンズ郊外に奥さんと2人で部屋を借りて暮らしているらしく、シエスタに毎週日曜日にやってくるということで、この宿で待つことにした。
ヒロさんは5年前にネパールでタンカを習い、今はタンカ師(タンカを書く人)として日本でも活躍中。チベットタンカは、チベット仏教の経典に書かれている神様を文字から絵に起こしたものらしい。背景や色までも経典に書かれている。
今回は奥さんを連れてネパールで長期滞在をしながら一緒にチベット語を勉強している。チベット語を学んでいるのは、経典を自分で読み、経典の内容をより理解し、さらに完成度の高いタンカを書くためだ。
まだまだ会話程度と言っていたが、
読むための勉強なので、当然文字も覚えなくてはいけない。
ネパールとチベットの文字はとても似ていて、俺なんかじゃ見分けがつけられない。チベットから来て間もない頃は、カトマンズにもチベット語がたくさん書いてあるなぁと、ボケたことを思っていた。(アホだな、俺って。)
そんな文字を読もうというのだからヒロさんも、奥さんであるアキさんもすごい努力家です。
チベット語の学校は、1日1時間で週6回。1時間の授業で6ページも進む日もあり、スパルタ教育です。授業料は安くて、2人で1時間240Rsとのことでした。
シエスタはシャワーのお湯が出ないことがあり、部屋はキレイだがあまり快適とはいえない。
だけど、ここの宿のオーナーのクリシュナさんはヒロさんがいうには、「ネパールで唯一尊敬できる人。」というので、その人にも会いたくて泊まることを決めた。NGOの学校支援に協力をしているということで、シオさんの学校のアドバイスを聞きたいし、シエスタが常宿になった。
次の日からはビザを取りに出かけた。クリさんもパキスタンとインドのビザが必要なため一緒に行動。
結局僕らは、土日を2回も挟んだため、2つのビザを取るのに11日間もかかってしまった。考えればもっと早く取れたんだが…。
6月8日(金)にまず日本大使館へ行く。パキスタンのビザを取るには日本大使館のレターが必要のだからだ。受付をすますと翌日受け取りになる。でも土日休みだから11日の月曜日受け取りになった。これで2日も無駄な日が増える。
11日にレターを取りに行って、パキスタン大使館へ。パスポートのコピー1枚とパスポートサイズの写真2枚と、小さい写真1枚必要。この小さい写真が曲者で、小さく切ったら大丈夫な人もいたが、僕らは駄目で近くの写真屋で100Rs払って撮ることになった。申請してパスポートを預け2日後に来いと言われる。また1日無駄な日が…。パキスタンビザは3ヶ月シングルが取れるはず。
2日後の13日(水)にパキスタン大使館でビザをゲット。なんとパキスタンビザは日本人なら無料。以外に親日なのね。その後インド大使館へ直行。
インドビザがまたややこしい。最初の日にテレックスという申請用紙を300Rsで買い、3日後にまた来て申請をしなければいけない。しかもテレックスを貰う場所と申請する場所が同じで、長蛇の列。メンドクサイ。そして3日後は土曜日なので5日後の月曜日に申請することになる。今度は4日間も無駄な日数が…。
そしてやっと18日(月)にビザを申請できる。9時半から門が開くが、込むことを考え8時半到着。しかし紙に名前を書けといわれ、書いたら朝めしでも食べてきたらいいというので、素直に行って戻ってくると長だの列。あの紙は何だったのでしょうか?
そして並んで待って、申請代650Rs(日本人以外は3050Rs)を払うと、パスポートを取られ、夕方の4時半に来いといわれる。それでもう一度行って、やっとビザが取れた。
すごく要領が悪かったので、反省を含めてこれからネパールでビザを取る人のために短期間で取れる方法を書いておきます。
パキスタンとインドビザを短期で一緒に取りたい方。4日でビザが取れます。(月曜日行動開始)
1日目。まず日本大使館へレターの申請。その後インド大使館でテレックスを貰う。順番は逆でもいいかも。
2日目。日本大使館へレターを取りに行き、パキスタン大使館でビザの申請。
3日目。休日。(パキスタンビザは翌日にもらえる場合もあるので取りに行く。)
4日目。パキスタンビザを取りに行って、インド大使館でビザを申請。夕方にビザ受け取り。
手際よくやれば4日でビザが取れます。土日をはさむと6日かかります。日本大使館レターとインドのテレックスを同じ日に貰いに行くのがミソ。
ビザ申請中の暇な日やビザ取得後は、ポカラで会った友達と食事したり、何もしなかったり、色々。
ヒロさんが日曜日にツーリストの集まるタメルに来たので、3年ぶりの再会を果たすことができた。
それで、ヒロさん宅にお招きしてもらったので、クリさんと一緒の行くことになった。
タメルからバス停まで行き、そこからバスで30分くらいにあるカプンというところにヒロさんたちは住んでいる。そこからチベット語の学校へ毎日通ってるそうだ。アトリエと寝室、キッチンと各3部屋を借りて、月々4000Rsだとか。家の1階を借りて住んでいるのだが、新築でとても快適そう。この家になら是非住んでみたい。自炊もできるし最高だ。
ヒロさんの家から、ヒロさんがタンカを習った先生の家まで歩いて5分くらい。今回一緒にクリさんを連れて行ったのは、クリさんもタンカに少し興味を持っていたからだ。
タンカのことをいうと「短歌?五七五七七のことですか?」と言っていたが…。チベットにも行ってないし、

